吹雪をもたらした雪雲は通り雲であったらしく、二人が歩を進めていく内に自然と収まり、空は再び晴れ始めていた。
雪道を行き始めてから二度目の朝が来ようとしている。
昨日と同じく、骨身を凍えさせる様な冴えた空気が二人を包むが、寒さに耐えるだけの昨日とは違う。
二人はラウエルにすぐそこまで迫っているのだ。
降り積もった新雪の中、最後のスパートをかけてスピードを上げていく。
しかし、サラは目の前の雪渓を目の当たりにして、その脚を止めた。
通り抜けていった吹雪は、二人に最後の試練を残して行ったのである。
「これは・・・」
サラは思わず言葉を飲んでしまった。
サラが目の当たりにしたのは、粉雪が覆ってしまった広い雪渓だった。
見た目だけは雪を吹き付けた様に美しい、白銀のスロープだ。
ここを横断してしまえば、残りの道程はラウエルまで安全に行けるだろう。
しかし、再凍結した雪の上に砂の様な粉雪が覆ってしまった雪渓は、いつどこで雪崩を起こしてもおかしくない、最悪の雪崩の巣と化していた。
ただ凍り付いていただけなら、彼女の蹄は難なく通り抜けていただろう。
吹き荒れた吹雪はこの雪渓で吹き溜まり、雪渓を地雷原の様な危険極まりない場所へと変えてしまっていた。
さしものサラもこの雪渓には怯んでいた。
石ひとつ投げ込んだだけでも、そこから雪崩が起きるのではないかとすら思える。
しかし、今更引き返せはしない。
以前のサラなら、もしくは一人なら、迷いなく飛び込んでいたかもしれない。
しかし、背中にはラティが居る。
そのラティの命には、ラウエルの人々の命が繋がっている。
吹雪の断崖で明確に死を意識したサラは、ラティに言われた自分の死の意味を、初めて自覚していた。
それまで感じていたスリルと紙一重の恐怖では無い、自分の死がもたらしてしまう、結果の重みの自覚。
自分の死が自分一人だけの話では済まない事がこれほど重いとは、一匹狼を続けてきたサラには思いもよらなかった。
それでも、判断を逡巡している暇は無い。
自分の考えている事の無謀さと、背中のラティの命も考えた上で、それでも彼女は腹を括った。
雪崩が起こっても問題無い事を確認する為に、下側を確認してからラティに話しかける。
「ラティ・・・最初で最後のお願いをしてもいい?」
「・・・ここまでずっとサラに命を預けてきたんだから、今更確認しなくてもいいよ」
出来る事はこれだけだと言う様に、ラティはしっかりとサラを抱きしめて体を密着させると、ストラップを固く握った。
今まで命を預けてきたのだ。今更、何を言う事があろうか。
(たった一昼夜で随分と信頼されたわねぇ・・・)
サラは思わず微笑んで軽く天を仰ぐ。
「・・・あたしの渾名を知ってる?」
「いいや。一昨日出会うまで、サラの事はなにも知らなかったから」
「・・・そう」
右の前足で雪を一蹴りすると、一気に加速して雪渓へと突っ込んでいった。
自分と自然だけの一対一ではない、サラにとっては初めての、自分以外の誰かの為に行う承知の無茶だ。
「あたしの渾名はね」
一息に踏み切ると、見極めた着地点へと身を踊らせた。
「アヴァランチダイバーよ!」
鮮やかな跳躍
脚が着くか着かないか
次の跳躍
まるで水面を切る石の様に
勢いを殺さずに駆け抜けていく
雪面に残された足跡からクラックが走り、そこから雪崩が起き始める。つまりは雪崩との競争だ。
まるで、雪面に裁ち鋏を入れる様に、スロープが雪崩ていく。
もし、上側でも雪崩が起き始めたら逃げられない。
だが、その危険度は慎重に歩いた所で変わらない。
危険地帯に身を晒す時間を最短にする事で、サラはこの雪渓を切り抜けるつもりだった。
恐怖に負けて少しでも脚を踏み出すのを躊躇えば、粉雪に脚を取られて雪崩に飲み込まれる。
焦燥に駆られて足並みを乱せば、脚が縺れてやはり飲み込まれる。
サラにとっては、文字通りの意味で綱渡りを駆けながらやっている様な物だった。
笑みを浮かべる余裕など無い。迷いも恐怖も焦りも超えて、為すべき事へと己を収斂させていく。
対岸の岩場まであと三歩。
頭上の方で空を切る様な音。
上の方でも雪崩が起こる兆しだ。
あと二歩。
目の前の雪がずり下がる。
まだ行ける。まだ生きる。
あと一歩。
滑り始めた雪へ足を運ぶ。
跳ねるな、一掻きだ。
対岸の岩場に脚が掛かると、一息に駆け上がっていく。
二人の世界に音が戻ってきた。
すぐ後ろでは雷鳴の様な音を立てて、雪崩が滑り落ちていくのが、見なくても分かった。
つまり、二人は賭けに勝ったのだ。
(昨日はこんなに眩しかったかな・・・)
ラティは思わず目を細める。
道程の最後の部分と言える、緩やかな山道を進む中で、ラティは初めて周りの風景を見る余裕を持った。
昨日の朝も見たはずの雪山の朝陽は、まるで、初めて見た
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