『混乱と狂瀾と矯激』の31〜40日(前編)

 

 《31日目》


「――どういうことか、説明してくれッ!!」

 ドン、と硬質な音が低く響く。

 同時に、自分の右手にじわりとした痛みを感じた。

「……まさか全部、予想してたっていうのか!?」

 視線を下に向ける。
 そうすると、重厚な木のテーブルに載せられた自分の拳が目に映った。
 机は僅かにも動かず、ただ痛むのは自分の拳だけ。

 自分でも分かってる。

 今の僕が、限りなく冷静ではなくなっているということぐらい。

 くそ、そんなの分かってるんだ。

 でも…………!

「こんなコトがあって、たまるかよッ……!!」

 今まで確かに存在していた基盤が、ボロボロと足元から崩れていくような感覚。
 その感覚がチリチリとした熱を持ち、自分の平静を失わせているのがはっきりと分かる。

「………………」

 その原因こそが、目の前の彼女だった。

 ここまで訴えても、少しも変化のないその顔つき。
 まるでこちらの怒りを観察するかのような表情。

 飄々とした態度を変えない彼女は、小柄な身体相応の小さな手でコーヒーカップを保持し、それを無表情のままにゆらゆらと揺らしてみせる。

 良くないとは思っていても、意識して抑えなければ罵りの言葉を発してしまいそうだった。

「サバト“穏健派”だって!? そんな組織、聞いたこともなかった! “穏健派”とはどういう意味だ!? バフォメットとの関係は!?」

 だから僕は、罵倒の代わりとして追及の言葉を矢継ぎ早に放つ。

 これで答えをはぐらかすようであれば……!

 ――すると、ようやく彼女は口を開いた。

「………………そう、ここは“穏健派”の拠点。十数年前のあの日、バフォメット様と袂を分かった離反者たちの集団……」

 彼女は今、自分たちのことを離反者と呼んだ。

 つまり、サバト“穏健派”とは、同じサバトという名前であってもバフォメットたちとは異なるどころか、敵対する組織ということなのだろうか?

 今まで聞いたこともなかったその存在。
 本当なら今の僕は、続けて“穏健派”という単語の意味や、敵対の理由も訊くべきなのだろう。

 しかし、何よりもまず問わなければならないことがあった。

「それならなぜ、あんたがッ――――!!」

 僕はどこかで、彼女は無関係であると決めつけていたのかもしれない。
 頭にあるのは、ウソだろ、という思いのみ。

 しかし、あのマミヤマだって簡単にサバトへと下ってしまい、かつ積極的に僕とサバトとの闘争に介入してきたのだ。
 何が起きてもおかしくないということか。

「――あんたがッ、ここに居るんだッ!?」

 瞬間。

 ――――ニタァ、と。

 目の前の彼女の顔が、大きく笑みの形に歪んだ。

「………………『あんた』、ねぇ?」

 おもむろに立ち上がると、僕の押し殺した叫びを真正面から受け止めるかのように芝居じみた動きで両腕を大きく横へと伸ばす。

 まるでスポットライトを一身に集めるオペラの主演女優であるかのごとく、小柄な全身を精いっぱい大きく広げる、その彼女は。

「………………イズミ、イズミ、イズミ」

 壊れてしまったかのように僕の名前を連呼しながら、ヤツは緑色の三角帽子の下でさらに笑みを深めていった。

「……ふ、フフ…………ふはははッ…………!!」

 もはや、満面のドヤ顔と表現しても良いレベル。

 悪戯に成功した子どものような、全力の笑顔。

「イズミ。私は『あんた』ではなく――」

 そんな態度で座った僕を見下ろす、いや、立ったところでそこまで背は高くなく、目線が丁度同じ高さになるくらいの背丈の彼女は――――。


 奥のベッドで熟睡しているネクリを全く気遣う様子もないまま、城の一室で威勢よく笑い声を上げている、彼女は――――。


「――――――私は、母さんだっ!」


 …………僕の、母親だった。










 《31日目 同日》


「――ほい。というわけでね、ネクちゃんや私はサバトからはストライキみたいな感じなんだよねぇ。困っちゃうよねぇ」
「………………」
「んじゃ、そろそろネクちゃんを起こしますかねぇ」

 よっこいせー、と小さな外見にそぐわない年寄りじみた掛け声を1つ、母は立ち上がって部屋のクイーンサイズのベッドに歩み寄っていく。

 それを尻目に、僕は考えていた。

 …………というより、頭を抱えていた。

「ネクちゃんやぁ、もう朝だよーん!」
「………………あうあう」

 部屋の向こうから、どう考えても朝っぱらのテンションではない母親の楽しげな声が聞こる。
 そして、ドクロ柄の黒パーカーを羽織っただけのネクリが思いっきり揺さぶられている。

「ネクちゃんが起きないから、母さんが全部イズミに説明しちゃった
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