お疲れさまです。
誰に言うでもなくそう呟いて、ビル3Fのオフィスから退出する。
後ろを振り向いてみても気が滅入るだけ、真っ暗になったオフィスが目に入るだけだ。
返事を期待するどころか、とっくのとうに他の社員は帰宅してしまった。
後の管理はこのビルの屈強な警備員の方々に任せ、自分は何もせずに出るだけである。
そう考えると今の自分はふっと消える亡霊のように思えてしまうのだけれど、実際タイムレコーダーはかなり前の時間に切っていたため、本当に幽霊のような存在に近いと言える。
レコーダーを切ったのは自主的、あくまで自主的なものである。そういうことになっている。
そう、幽霊は実在したのである…………。
あなたの身近なところで、疲れ目の幽霊が誰もいない深夜のオフィスに…………。
まあ、そんな冗談はさておき。
お残りしたぶんだけ仕事は片付いたため、もうあとは帰るのみである。
しかしここで、困ったことが1つ。
時間配分を間違えたようで、今ちょうど終電の時間を越えてしまったのだ。
この会社と家のアパートとは電車1本、3駅分の距離なので、歩いても1時間程度で帰れるのだけれど……。
もうこの際だ、いろいろ諦めてゆっくり帰ろう。
家で誰が待っているわけでもなし、せいぜい明日の自分が寝不足で困るだけだろう。
そう思い、好きでもないアルコールを自販機で買って会社近くの公園に寄ってみる。
昼は周りのオフィスに勤める社員らが昼食のために集まってくるこの公園も、さすがに深夜になると暗く閑散としていた。
のんきな笑顔を浮かべたパンダの置き物(?)に腰掛け、プシュッと缶を開ける。
少し振ってしまっていたのかどうか、手元の缶ビールの口からは軽く泡があふれてきた。
「それは……酒精かな?」
酒精、ちょっと聞かない表現だ。
普通はアルコールと言えば充分だと思う。
「あるこーる、ね。それを飲むのかい? 話に聞いたことはあるが、飲むと頭がぽわぽわするのだろうね?」
ぽわぽわ…………。
まあ、間違ってはいない。
ぽわぽわと言うか、ぼーっとして何も考えられなくなる感じというのが正しいかも。
「なに、それはよくない。ヒトは理性を持ち、思考して生きる生物なのだろう? 考えることを完全にやめたら、それは怠慢というものだよ」
寝る時は別だけれどね、と近くでまた声がする。
そういや、自分はさっきから誰と話しているのだろうか。
頭にするっと入ってくるような、今のくさくさした自分の気分とは対照的な、澄んだ声色。
「ならば、あるこーるというのものを吾輩は歓迎することはできないな。きみもこの際もっと、思考の妨げにならないような、理性のある飲料でノドをうるおすというのはどうだろう?」
缶の上に載った泡に付けようとしていた口を離す。
周りを見ても誰もいない。
ついにモノホンの幽霊と遭遇してしまったのかな?
「確かにゴーストやファントムは君たちの考えるゆーれいと似ているけど、吾輩は彼女らとはまた異なる存在だね。ほら、ここにいるよ」
声のする方を見ると、そこにはすべり台が。
そしてそのてっぺんには、鉄柵の向こうからからこちらを覗き込む影があった。
影、それも小柄でそこまで大きくない影。
月明かりの下で、その人の目だけが妙にはっきりと見えた。
コハク色の目に、中央には縦長の黒い瞳。
そんな目が、強い好奇心をたたえてこちらを見ている。
…………あの。
そちらの方はいつから、どうしてそんな所に?
「『いつから』、というのは吾輩は時間をあまり気にしない性格なため、はっきりとは答えられないな。ただ、きみが来た時にはもういた、という言い方ならできるね」
はあ、そうなんですか。
かちりかちりとパズルピースをはめるように筋道立てて意見を話す小さい影に、呆気にとられつつもそう頷いた。
すべり台の柵に隠れるくらいの大きさだから、その子は1メートルにも満たない背丈だろう。もっと小さいかもしれない。
気づけば滑り台の方へ向かって歩み寄っている自分がいた。
缶ビールは結局一口も飲まないまま、パンダの上に置きっぱなしだ。
「うむ、そうなんだ。そして、『どうして』そんな所に、という質問についてはだね――――」
……その人は、実にネコっぽい姿をしていた。
ネコっぽい姿でもって二本足で立ち、すべり台のてっぺんの柵を手で掴んでこちらを見下ろしている。
そして、頭のネコ耳をぴこぴこさせつつ、少し言い淀んでからこんなことを言った。
「――登ったはいいが、あまりの高さに降りれなくなってしまった。そこのきみ、だっこしてくれたまえ、だっこ」
だっこ、だっこと言いながら
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