《30日目》
「――――――バブみよ」
眼前の大男が、周囲へと唸るように音を発する。
それは自己の主張というには、あまりにも暴力的な獣性に侵されていた。
何が、起きてるんだ?
数分前まで、僕は偶然出会ってしまったバフォメットと、なぜか2人並んでパフェとぜんざいを食べていたはずだ。
……そのはず、だった。
「マミヤマ、なのか?」
その途中で、突如として空から降下してきた大男。
ヨダレかけにおしゃぶり、そして両手の乳幼児用ガラガラで完全武装した巨漢。
普通の私服のジーンズの上から股間に何重にも巻かれているフンドシめいた白布は、まさか、布オムツだとでも言いはるつもりなのだろうか。
あまりにもこの商店街の通りにはそぐわない、特異の全てを寄せ集めたような破滅的な外装だった。
周囲の人たちもこの異常事態についていけなかったのか、ある者は、肩に引っ掛けた学生カバンがずり落ちるのも一顧だにせずこちらを呆然と眺め、ある者は子どもの手を引いたまま立ち尽くしている。
とりあえず子どもの目は塞いだほうが良いんじゃないだろうか。
マミヤマは、触れれば切れるような鋭い殺気を放ちながら、こちらにゆっくりと顔を向けた。
そして口に咥えたおしゃぶりの奥から、しかし意外にも理性的な様子で静かに言葉を紡ぐ。
「………………イズミか」
「……やっぱり、マミヤマで間違いないみたいだな」
「何を当然のことを。己はマミヤマで相違ない」
「そう、か」
自分で発した言葉で、ようやく僕自身が納得した。
それほどまでに彼の印象は変化していたのだ。
よくよく見れば、彼の姿形には大きな異常は見当たらない。
身長、体格、姿勢、それらは全て以前と大差なかった。
当たり前だ、女性が魔物化するようなケースでもない限り、普通の人間は10日程で見間違えるほどの変化など起こり得ないのだから。
だから劇的に変化していたのは、その雰囲気だった。
少し前までの彼は、剣道部レギュラーという立場にいながら、良く言えば気さくで親しみやすさのある、悪く言えば少々お気楽で危機感の足りない性格だった。
いつかの日などは、「うわー、CDケースに上から牛乳こぼしちったー! これ乾かした方がいいっすよね?」などと言ったあげく、中身入ったままケースを炎天下の外に干すというまさかの所業をやらかし、中のCDを完膚なきまでに故障させた伝説を作っていたのがマミヤマという人物だ。
対して、今のマミヤマはどうだ?
どこまでも真っ直ぐに僕へと至る視線。
一切ブレのない体幹からなる堂々とした所作。
纏う雰囲気から来るプレッシャーはもはや一個の刃物のようであり、まるで歴戦の剣豪とでも相対しているかのようだ。
しかも口調まで大変なことになっている。
そんな今の彼の振る舞いは、CDを蒸し焼きにした以前のマミヤマとは全く重ならなかった。
「バフォメット、彼が『内通者』だったんだな?」
「いかにも、じゃ」
間に入ったマミヤマによって見えなくなったバフォメットが、わざわざ横にずれてくれたうえで僕の前に姿を見せると、不遜な態度で頷いてみせた。
「マミヤマ……なぜだ? なぜ、サバトに?」
すぐには彼は答えなかった。
わずかに思案する様子を見せたのち、逆にこちらへと静かに問いかけてくる。
「イズミ、己の嗜好を覚えているだろうか?」
「……もちろんだ、マミヤマ。お前は何よりも母親的な存在を愛し、母性から生じる愛情に憧れを覚えていた」
「ああ…………そうだ」
「そして偏向的な性愛として考える時、母親に向けるものと幼児へと向けるものは対極であると僕に教えてくれたのはマミヤマだろう? なのに、どうしてサバトに下ってしまったんだ! なんで一人称まで変わっているんだ!?」
おしゃぶりの奥で、彼は閉じた口を横へと引き伸ばした。
どうやら、笑っているらしい。
「……マザコンという言葉。それは己にとっての生きる価値を端的に表現する単語であり、目指すべき山の頂、あるいは苦難の雨から己を守る樹冠」
「そうだろう、だからマミヤマはずっと――」
「――――だと、思っていた」
「なッ…………!?」
過去形。
あるいは、否定。
マミヤマは昔の自分を、嗤って過去形にしていた。
そんな。
ウソだろ、マミヤマ。
「しかしイズミ、己は目覚めてしまった。あれはそう、他の大学へと『活動』に行った時だったか」
「――――ッ!? まさか、サバトの襲撃を受けた時のことを言ってるのか!?」
マミヤマはあの時、『堕天使型』の攻撃を受けていた!!
あれの影響を受けてしまったというのか!?
「そんなバカな、粉ミルクの投与が間に合っていたはずだ! ネクリによる
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