いくら進化しようとも、極寒の中で動き続けられる生物はいない。
ましてやそれが人間であるなら尚のことである。
点々と木々が立ち並び、真白い雪で覆われた険しい山中。
勢いは多少減り始めたが、まだ止まぬ吹雪が誰も彼もに吹き付ける、極寒の中。
一匹の魔物である彼女は、弱まりつつあるヒトの、その精の匂いを敏感に感じ取った。
その胸中には呆れが半分、己でも判然としない何かが半分。
「よもやこの季節に、斯様な山の中へ入る愚か者がいようとはな」
氷の精霊である彼女にとって、雪も吹雪も身体の一部のようなもの。
深く積もった真白の絨毯を、匂いのする方へ、いささかの苦も無く進む。
さくり、さくりと、その長身にそぐわぬ軽い音が雪を踏み分けていく。
彼女が思うよりずっと近くに、そのヒトはいた。
歩くのもおぼつかない足取りで、幾分弱まった吹雪にさえ翻弄されている。
そしてまだ細く小さい、男の子(おのこ)だ。
魔物である彼女は確かに長身だが、少年の背丈はその胸ほどしかない。
雪解けで濡れた衣はもはや服の体など成さず、体温を奪うのみ。
吹き付ける雪で前方すらよく見えていないのか、立ち止まった彼女に正面から当たるまで、少年はその存在に気付かなかった。
「……あ」
身体の触れたその男の子から小さな声が漏れる。
彼が恐る恐る見上げた先には、ヒトらしからぬ青白い肌の、すらりとした長身の女性が立っていた。
「童(わらし)か」
透き通る氷のような青い髪色で、真っ直ぐ揃った前髪に、頬を通って胸まで垂れる二つの長い髪。後頭部を含め、身体の所々から覗く氷柱のようなもの。
隻眼なのか、片目は眼帯と氷柱らしきもので隠れているが、息を呑むほど端正な顔立ちと、さながら尖った氷のように鋭い目つき。
この雪山では奇異にしか見えない、所々から肌を露出した着物の格好。だが、吹雪の中で雪解けに濡れた様子も、凍える様子もない。
ヒトであるか、そうでないか。彼にはもうそれを判断する力もまばらだった。
「そなたは、何処行く者ぞ」
女は少年に問いかける。
答えを待つこともなく、彼女は少年の痩せた手を握った。
「……!」
少年の凍え切った手は彼女よりも冷たく、か細く。
体温を奪われ、弱り果てた身体はびくりと震える。
「案ずるな。いくら魔物であろうと、貴様のような迷い子に手を掛けなどせぬ」
女性にしては低い、冷ややかさを感じる声。
その半分は意図的な物であり、余計な情を掛けるのを嫌ったものである。
「……まもの、さま……?」
「そうだ。我はこの雪山に住む精霊にして魔物、氷柱女(つららおんな)ぞ。
凍えてろくに口も利けぬのなら、有無を言わさず麓へ返す。
望むなら、何処(いずこ)へなりとも連れて行ってやる」
「つれていって……くださるのですか」
「童よ、何処を望む」
手を握ったまま、彼女はくるりと少年に背を向ける。
寒さで言う事を聞かず、かちかちと鳴り続ける歯音を必死で抑えながら、少年は言った。
「僕を、天の上まで、連れていってくださいませ」
吹雪が掻き消してしまいそうなその小さな声を、彼女ははっきりと聞き取る。
朦朧とはいえその言葉は、この寒さの耐え難さから口に出たのではない。
寧ろこのまま、自分を凍らせてくれと願うような、冷たい願望。
氷柱のように鋭い女の眼が、さらに尖る。
「……うつけが。何を口走ったか、分かっておるのか」
「二言は、ありません。どうか……このまま……ぼく、を……」
消え入りそうな体の熱は、更に小さく。もはや震える事すらままならなくなっていく。
そんな少年の手を、彼女は力強く、ぐいと引っ張った。
「付いて参れ。天国へ、連れて行ってやろうぞ」
強引に手を引かれ、少年は無我夢中で足を動かしていたが。
いつしか柔らかい何かに抱かれ、ふわりと身体が浮いた所で、記憶が途切れた。
――――――――――――――――――――――――――
ここは、どこだろうか。
身体はうまく動かないし、頭の中はふわふわと夢見心地だ。
もしかすると本当に、あの魔物様は僕を天国へと連れて行ってくれたのか。
暗いけれど、身体が、今も柔らかい何かに包まれているのが分かる。
降り積もる新雪が、僕を埋もれさせるように――、
「気は付いたか、童よ」
声は低いが、ささやくような優しい声。
薄く目を開けてみるが、それでも目前は暗く、青白い。
身体もそうだが、顔ごと、今まで感じたことがない程の柔らかさに埋もれている。
「まだ、口は回らぬだろう。焦ることはない」
全身の感覚が、少しずつ元に戻っていく。同時に身を包む柔さもまた、強く感じられる。
ぎこちなくも動く手の
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