溶ける従者は深く甘く

「おかえりなさいませ、ご主人様」

 僕が玄関を開けると、ダイニングでお茶の準備をしている御影(みかげ)さんがこちらを向いた。
 見違えるように綺麗になった自分の1DKのアパートを眺めながら、僕は呟く。
 余計な物やごみは袋に入れて纏められ、下駄箱や台所に薄らと積もっていた埃はどこにもない。
 というか、どこから用意してきたのか分からない家具まで置いてある。

「すごい……ほんとに買い物に行ってる間に綺麗になってるなんて」
「ワタシの方で必要かどうか判断できない物はこちらにまとめて置きました。
 お手数ですが、後でご確認くださいませ」

 御影さんは陶磁器のようなティーポット――これもどこから持ってきたのか分からないが――に紅茶の茶葉を入れて蓋をする。
 一連の流れるような動作に感嘆しながら、僕はテーブルに買い物袋を置いた。
 ここまでの口ぶりだけでは洗練されたお手伝いさんという印象だけを受けるが、何よりインパクトがあるのは彼女の外見だった。
 彼女、御影さんは『ショゴス』という、人間とは全く違った”魔物娘”という生命体だそうだ。
 御影さんの身体は黒く不定型な粘液で出来ており、薄紫色の肌をした淑女のような上半身と、青紫色の粘液から成るスライムのような下半身を持っている。腰から上だけを見ると、メイド服に似たエプロンドレスを着ている凛とした顔立ちの女性にしか見えない。
 さらに白目の部分が黒一色という特殊な眼をしており、それもまた人外じみた印象を受ける。
 しかし物腰柔らかい言葉遣いと立ち居振る舞いを見ていれば、彼女の異形さなど吹き飛んでしまいそうだ。

「えっと、これで良かったかな、御影さん」
「ああ、ありがとうございます。手が離せないとはいえ、ご主人様の手を煩わせて申し訳ございません」

 御影さんは買い物袋を受け取ると、中身を確認しながら冷蔵庫や戸棚に収納していく。どちらの中身も既に整頓された後で、買い置きしていたインスタント類の食品と調味料がきっちりとしまってあった。
 数分後、御影さんはソーサーの付いたティーカップに紅茶を注ぎ、部屋のテーブルへ持って行く。部屋の中も台所と同じぐらい綺麗に整頓されていて、まるで引っ越してきたばかりのようだった。しかも家具の外見まで変わっていて、それは僕が持っていた物より数段上の高級品ばかりに見える。
 僕がそれに付いていくと、お茶を用意し終えた御影さんがぺこりと頭を下げた。

「それでは、次はおゆはんの準備に掛かります。
 ご主人様はお部屋でごゆっくりなさっておいてください」
 
 御影さんが淹れた紅茶を飲みながら、片づけられて綺麗になった、いやそれ以上になった部屋を見回す。
 フローリングは綺麗に磨かれていてこの前作ってしまった凹みもなくなっているし、埃も汚れも見当たらない。テーブルは家具量販店では売っていないような綺麗な荘重の付いたモノで、天板は顔が映りそうなほど磨かれている。パソコンデスクはコード類まで纏められ、本棚はひとつひとつの巻数まで整えられている。奥の段に隠しておいた成年向け雑誌がどうなっているかまでは考えたくなかった。 
 そして巨大なベッド。僕が大の字になって寝転がることができそうなほど大きい。一体どうやってこの部屋に入れたのだろうか。
 ただ、あまりにも手持ちぶさただった僕は、紅茶を飲み干すと結局また台所を覗いていた。

「どうしましたか、ご主人様?」

 扉を開くと、ゆっくり御影さんがこちらを向く。

「えーっと……何か他に手伝うことはないかなって」
「まあ。ご主人様手ずからお手伝い頂けますなんて……。とてもお優しいですね」
「い、いえいえ。ここまでやって貰っていると気が引けて仕方なくて」
「ふふ、ありがとうございます。
 では……そうですね、まずサラダの盛り付けをお願いできますか?」




「ごちそうさまでした。美味しかったよ」
「お褒めいただき恐縮です。ご主人様にお助け頂いたおかげですね」

 『従者が食事を共にするわけには……』と言う御影さんを説得し、二人で一緒に晩御飯を食べ終えた。
 すでに食器は片づけられ、皿洗いも済んだらしい御影さんが部屋へ戻ってくる。
 御影さんが淹れてくれた緑茶を飲みながら、僕は彼女に感謝を告げる。

「何から何まで……ありがとうございます」
「そんな……頭をお上げください、ご主人様。
 ご感謝頂けるのはとても有り難いことですが、気に病まれる必要などございませんから」
「でも掃除から食事まで、身の回りのことを全部やっていただけるなんて。
 仕事で疲れててそっちに気が回らなかった所なんで、本当にありがたいです」

 僕がそう言うと、御影さんは意味ありげにニッコリと笑った。両端の上がった口元は人間とは思えないほど――いや人間ではないのだ
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