とんとんと叩かれるアパートの玄関を開けると、そこに二足歩行の猫が立っていた。
何を言っているのか分からないが、何が起きているのか私にも分からない。
「こんばんは、夜分遅くに申し訳ございみゃせん」
その猫は恭しく頭をぺこりと下げて、しかも人間の言葉を話した。猫なで声かと思ったらそれは驚くほどおしとやかな声色で、どこぞの屋敷で大切に育てられた貴族のようである。
つま先から耳まで黒に近い藍色で、ペット用美容院に行った帰りのように美しく整った毛並み、瞳は金色で動物らしいつぶらな目。しかもステッキを携え、マントのような布まで纏っていて、まるで絵本の世界だ。
……だが、普通の猫と比べるとかなり背丈が大きい。私の胸ぐらいまではありそうだ。
私が知っている四足歩行の猫をそのまま立たせてもこんなに大きくはないだろう。二足で立つためか後ろ足は太く、見た目からして毛でふわふわしている。
「本日は失礼を承知で、直接アナタ様のご自宅へとお伺いさせていただきみゃした。
予定もお聞きせず急にお尋ねして不躾とは思いますが、どうかお目通りをお許しくださいみゃせ」
夢だろうか。夢でもないと困るのだが、それにしてはこの猫の挙動が生々しすぎる。
ピンと立った細いひげと尻尾を揺らしながら、目前にいる猫は続けた。
「あ、これはこれは申し遅れみゃして。
ボクはフェイレス・フォン・ベルベットと申しみゃす。ベル、とお呼びくださいみゃせ」
それでその、ベルさん……が一体私に何の用なのか。
私に猫の知り合いはいない。人間の言葉を話す猫ならことさらに。
「そ、それは、もちろん……!
ああ、このような見てくれとはいえ、まがりにゃりにも女子でありみゃすのに!
ボクからそんな事を申し上げるにゃんて、そんにゃっ!
尻尾とおしりがうずうずしてたまりみゃせんみゃっ!」
二足歩行の猫……いやベルさんは、両手(猫の手を大きくしたみたいな形だ)で赤くなった(気がする)頬を隠しながら、藍色の体をくねらせる。
その仕草はどことなく人間に似ていて、麗しい女性と話すような幸福感と、とても猫とは思えない彼女への違和感が私の心中で混ざり合っていた。
「――はっ、にゃんとはしたにゃい事を。
失礼いたしみゃした、それで話というのはですね……」
こほん、と猫は一拍置いて、
「このボクを、アナタ様の妻としてお迎えいただきたく、参上した次第ですみゃ」
はっきりと、荘厳な声でそう言った。
……ばたん。
「みゃーッ!どうして扉をお閉めににゃるのですかっ!」
……働きすぎとは言われたが、こんな妄想に取りつかれるとは。
近くに心療内科の病院はあっただろうか。
「ちょっとお待ちくださいみゃ! 夢でも妄想でもございませんにゃっ!
確かにボクは由緒正しきフェイレス家の娘、ですが今ここにいますはただ一匹の猫ですみゃー!
にゃああ! 危険を顧みず、また今夜も従者の目を盗み抜け出してきたというのにっ!(カリカリカリッ)」
……扉を引っ掻く幻聴まで聞こえてきた。
「昨夜、ボクをあんにゃにも淫らに狂わせておいて、快楽を身体に覚えこませておいてっ!
もうアナタにゃしではボクは生きていけにゃい身体にされてしみゃったとゆーのにぃっ!!
そんにゃにていそーを弁えにゃい方だったにゃんてっ!」
私が観念して玄関を開けるまで、そう時間は掛からなかった。
――――――――――――――――――――――――――――――
「……そうでしたか、それは大変申し訳ございませんでしたみゃ。
なにぶん世間知らずの箱入り娘なものでして、お詫びの言葉もありませんみゃ……」
さっきの猫……ベルさんは、私の部屋にあるちゃぶ台の前に正座(?)で座っている。
幸いお隣さんたちは留守だったようで、さっきの騒動を聞きつけてやって来る人はいなかった。
まだ半信半疑ではあるが、一体どういう経緯があってこうなったのか、と彼女に私は問う。
「……そ、それは……。お忍びでこちらにやってくるボクへ、いつも施しをくれておりましたから。
その一途で誠実なお姿と優しさに、ボクは仮の姿だということもあり、つい気を許してしまい……、」
……一体何を言ってるんだ。
と思ったが、いつも会社帰りに私が餌をあげていた、不思議な毛色の猫をはっと思い出す。黒と藍の混じった毛色の猫だ。
他にも野良猫はいたけれど、誰かに餌付けされていたのかみんな餌を出そうとしなくても寄ってくるくらいに慣れていた。
なのに、その不思議な毛色の猫は私が餌をやっても、私の姿が見えなくなるまで決して餌を食べない、それぐらい警戒心の強い子だった。
確かに他の野良猫とは違う風格らしきものがあっ
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