ひとりだけの目

「大丈夫――、誰も来たり、しないから」

 図書室の、背の高い本棚が並んだ奥の場所。床板の上で仰向けに寝転んだ僕に跨って、彼女がそっと耳元で囁く。
 彼女のブレザーのリボンが解かれて、横の床にそっと置かれた。
 部屋に満ちる本の匂いに混じって、ミントのような彼女の香りが漂って心臓を高鳴らせる。
 夜になった今部屋を照らすのは、ぶら下がった非常灯と、彼女の向こうにあるカーテンの隙間から漏れ出す月の光だけ。そんな僅かな光に照らされ、癖のついた彼女の長い黒髪が鈍く光っていた。

「私、ずっと独りだった。
 少しでも、この切ない気持ちを無くしたかった。
 だから、こっそり。紛れ込むみたいに、ここに居たの」
 
 学校指定のブレザーが傍に畳まれて、次に彼女はブラウスのボタンに手を掛ける。
 ぱさ、とかすかな音を立ててブラウスが床に置かれ、その下にある控えめな白のキャミソールが現れる。同時に彼女の下着と肌も露わになった。
 真っ白いその肌は”人間”と違って、洗いたてのシーツのように曇りがない。
 いつの間にか彼女はキャミソールも外して、ブラウスの上に置いた。

「でも、変わらなかった。……ううん、もっと悲しくなった。
 私だけがぽつんと浮いてるみたいで、すごく、不自然で」

 どんな表情で彼女がキャミソールを脱いだのか、僕は見ていなかった。見ることが出来なかった。脱いでいるのは彼女なのに、なぜか僕自身がどうしようもなく恥ずかしくなっていた。彼女が生まれたままの姿に近づくたび、僕は息の仕方さえ忘れそうになる。ほんの少し彼女の表情を伺うことさえ、僕には途方もない勇気が必要だった。
 意を決して、僕は恐る恐る彼女の顔を見る。
 癖のついた長い黒髪が僅かな日光で煌めく。彼女の目をすっぽり隠せてしまえる前髪の下から、真っ赤で円らな一つ目がちらちらと覗く。僕の方を見ているのか、それとも目を逸らしているのかは分からない。
 その代わりのように、彼女の口元はよく動いていた。しかし喋っているわけではなく、言いよどむような、唇を揺らす動きだ。頬だって真っ赤に染まっている。

「だから、もっと」

 チェックのスカートも外されて、身体を包むのは下着だけ。彼女が足をそっと動かして、自分のショーツを脱いでいくのが見えた。
 彼女の肌と僕の服が擦れる音がして、真っ黒な彼女の両手が僕の頬をふわりと包む。

「もっと私のこと、見てほしい」

 力強く鳴り続ける心臓の鼓動を必死で鎮めながら、僕は眺める。
 人間ではあり得ない、黒と白の入り混じった彼女の裸体を。
 真っ赤な一つ目を。



 

 二月の頭、まだ冬の寒さが残っている頃。
 僕はいつものように、いつもの道を通って、一人で登校していた。
 僕の通う中学校は町からだいぶ離れた田舎にあり、そのせいか生徒の数は多くない。そもそも地域に子供の数が少ないし、特に有名な学校というわけでもない。
 しかし、そんな小さな学校でも噂話はある。「人体模型が歩いた」「妖怪がいた」という怪談みたいな話もあれば、「誰と誰がこっそり付き合っている」とかいう身近な話も。
 でも、そんな話で盛り上がるのは一部の元気なグループだけ。
 僕はそういう子達とほとんど話した事がないし、仲が良い、という友達もいない。
 だからといって、皆からいじめられている、というわけでもない。
 授業で同じ班になれば誰かと話す事もあるし、無視されたりするわけでもない。
 ただ、僕は自分でもよく分かっているつもりだ。自分が明るい人間でも、親しみやすい人間でもないという事を。 

 最初のうちは話しかけてくる人もいたけれど、積極的に打ち解けてくる子はいなかった。
 僕だって邪険にしていたわけじゃないつもりだ。けど、なんて言おうか考えてるうちに皆の話は進んでしまって、結局何も言えなくなってしまう。
 みんなが知っているはずの話題が分からず、僕だけ黙っている事もよくある。
 何かを聞かれてもとっさには応えられないし、面白いことも言えない。
 気が付けば僕と話す子なんてほとんどいなくなっていて、誰かと学校の外で会う事も無かった。
 
 僕だけ静かに給食を食べながら、心の中で密かに思っていた。
 本当に一人ぼっちだと感じるのは、一人きりで黙っているときじゃなくて、他の誰かと一緒にいるときなんだと。


 
 その日のお昼も給食を食べ終えたら、僕はそそくさと教室を出た。他の皆は教室で話したり、外で遊んだりしている。
 僕が向かうところは図書室だ。学校で暇になると、いつも僕は図書室へ行く。それと今日は僕が図書当番だからというのもあった。小さい学校のわりに図書室は広くて、本の数も種類も豊富だ。面白い本がいっぱいあるし、僕が読んだことのない本もたくさんあってわくわくする。 
 クラスの
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