ある小さな街の郊外に、ゲイザーという珍しい魔物と若い男が住んでいました。
二人は当然恋人なので一つ屋根の下となっているわけですが、男には悩み事がありました。
それも、彼女がゲイザーであるゆえに明かせない悩みです。
しかし、男はある噂を聞きました。
一つ二つ隣の街に、有名な祓い士がやってきた、と。
『祓い』というのには呪い・病・厄などと色々ありますが、男が興味を惹かれたのは『催眠』という一文がそこに入っていたからです。
男は適当に理由をごまかし、恋人を家に一人残してその祓い士のいる街へ出発していきました。
男は祓い士のいる家に着くなり、挨拶もそこそこにこう頼みます。
「恋人のゲイザーに掛けられた、『好きになれ』という暗示を解く方法はありませんか」
と。
祓い士は怪訝そうに聞き返します。
「そなたはそのような暗示を掛けられて困っておると?」
その祓い士はバフォメットという偉い魔物娘で、その手の魔術を研究するサバトに長く所属していましたが、そんな依頼はこれまで頼まれたことがありませんでした。
おおよそ魔物娘の使う催眠、暗示、呪い、etc……に害をなすものは存在せず、頼まれるとしても「特殊なプレイすぎて生活や仕事に支障が出かねない」「マンネリ化しないよう一度リセットしたい」という理由が大半です。
それから男はすぐに首を横に振りました。
「もちろんそうではありません。
ですが、このままでは私の本心が分からなくなってしまいます」
「ふむ、本心とな?続けなさい」
「私と彼女は本当に突然出会い、私は彼女がどんな魔物かもわからず驚いて逃げ出しました。
そこで誤って高所から落ちてしまい、気がついたら彼女に介抱されていた次第です」
「ふむ」
「きっとその時に暗示を掛けられたのですが」
「よいではないか。むしろ突然恋人ができて羨ましい爆発しろ」
男はまた小さくかぶりを振って、
「それなのです。突然のことすぎて、私は自分の本心を見失ってしまいました。
見失ったままあの子を好きになってしまいました。
暗示の掛かった今だから言うのではなく、私は暗示がなくても彼女を好きになれたのではないかと、何度もそう思ってしまうのです」
「はあ」
「これではあの子を本心から愛せているとは思えません。
だからこそ私はあの子に掛けられた暗示を解き、もう一度彼女とまっさらに出会い、彼女と過ごし、純真な心のまま彼女に好きだと言って告白したい!」
「へえ」
「ゲイザーの暗示はとても強力と聞きますが、どうにかなりませんか」
どう聞いても惚気話なので無表情だった祓い士はなんとか気を取り直し、男にこう言います。
「わかった。どんな催眠も暗示も解く薬を作ってやろう。
材料に必要なのは”虜の果実”だ、貰ってきなさい」
――ただし。その果実は今まで『愛してる』と一度も言ったことのない夫婦から貰ってこなければならない」
男は街にある夫婦の家を何件も、何件も訪ね歩きました。
虜の果実はどの家にもありました。
しかし、『愛してる』と一度も言ったことのない夫婦はどこにもいませんでした。
男はやがて気づき、祓い士の元へと戻ります。
「祓い士様、『愛してる』と言ったことのない夫婦は一つもありませんでした。
私は、自分だけが伴侶に『純真な愛』を伝えられていないと思い込んでいましたが、違っていたようです」
「ん?うん」
「言葉遊びでしかない『純真な愛』を求めるのではなく、ただはっきり、言葉にして『愛してる』と伝え合う。
それこそが恋人や夫婦にとって大切なのだと……貴方は私にそう伝えたかったのですね、祓い士様」
「え、いや……無理難題をふっかければ勝手に諦めるかなと思っただけなんじゃが……」
「……」
「とりあえず、私もすぐに帰って妻に愛してると言おうと思います」
「おお、はよ帰れ」
「祓い士様も行き遅れなきよう」
「……依頼料がまだじゃったな、相場の十倍にする」
「祓ってはいないので、払わなくてもお互い様ということに……」
「ならん」
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