「――っ、」
夢から覚めたような心地で、かっと目が開いた。
視界にあるのはやや散らかった藍の部屋と、おずおずとした仕草で俺の顔をのぞき込む藍。
「……だいじょうぶ?お兄ちゃん」
「あ、ああ……」
「疲れてたみたいだから、起こすのもわるいと思って……起こせなかったの」
クッションを枕に寝転んでいた俺が身体を起こすと、傍らに何か入った袋があるのに気が付いた。
――ああそうだ、俺は、藍に新しいゲーム機を渡しに来たんだっけ。
さっきよりやけに気怠く感じる身体の疲れを、乱れた衣服の違和感を振り払うように、俺は顔をぶんぶんと震わせた。
急に眠りこけるなんてどうにも弛んでいるな。こんなじゃ、また仁見に笑われてしまう。
「そうか……余計な心配、かけたな」
「そんなこと、ないよ」
「ええと、実はその……あー、懸賞で良い物が当たってな。
部屋に来た理由はそれなんだ」
流石に自費で買ってきたには不自然なので、俺は咄嗟に適当な言い訳をしながら袋を渡した。
藍はきょろきょろと、俺と袋を交互に見て様子を窺っている。
「見ても……いいの?」
「もちろんだ。気に入ってもらえるかは分からないが……」
その言葉を引き金に、ゆっくりと藍は袋の中にあるゲームの箱を取り出した。
「あ……これ、テレビで見たことある……げーむ」
「そう、今出てるので一番新しいやつだ。
一緒に遊べるように、コントローラーも何個か買ってきたぞ」
「う……うん」
藍はゲーム機の箱を眺めているが、俺が思っていたよりは期待した反応がない。
部屋の前を通るとたまにそのゲームの音楽が聞こえるので、てっきり興味は強いと思っていたのだが。
「藍、ずっと同じゲームばっかりやってただろ?」
「う、うん……お兄ちゃんと、一緒に遊びたかったから」
「え?」
「お兄ちゃんが、くれた物だから」
「……あ、」
その言葉で、俺はその事を思い出した。
確かにこの古いゲーム機は、俺が藍にあげた物だった。
いや、そうでなくても、俺にとってこのゲーム機は、とても特別な物だった、はずだ。
「そう……そうだよな、忘れてた……のかな」
「……どう、したの?」
出会った当初から誰も彼もを避けていた藍と、どうにか仲良くなりたくて、このゲーム機と持っていたソフトをあげるつもりで貸した。
とても大事なものだけど、大事なものだから、一緒に楽しみたい。
俺はそう言って、ようやく藍と言葉を交わし始めることができた。
覚えている。
でも、どうしてそんなに大事なものだったんだ?
「あれ、は……」
そうだ、俺が買ってきたものじゃない。そんなものに使うお金は貰えなかった。
だから大事だったのか?違う。
もっと、もっと何か強いモノがあったはずだ。
「お兄ちゃ―、どうし――の――? 顔色――よくな――よ」
ほんの僅かに聞こえる藍の声が、何千キロも遠くに感じる。
どうしようもない衝動で思わず目を閉じると、映像が脳裏に、瞼の裏に、心の中にぶわっと浮かび上がってくる。
「……あ、……ぐ、」
誰かがあのゲーム機の入った箱を俺に渡してくれて、俺を見て笑っている。
その人物が近づくと、慣れない酒の匂いを感じる。好きなのに、好きじゃない匂い。
その誰かが俺と一緒にゲームをしている。
その時の事を覚えている。
たのしい、おもいで。
「あ――おに――ちゃ、 ま――あいつが――じゃまを――」
その日は、二人きりの家族になってから、たぶん初めて怒られずに済んだ。叩かれずに済んだ。殴られずに済んだ。
だめだ。思い出しちゃだめだ。でも止められない。
残っていた怪我の跡以外では、痛い思いをしなくて済んだ。
それだけじゃない。
初めて褒めてもらえた。
「――」
一緒に遊んでくれた。
俺の事を見て笑ってくれた。
止まらない。
俺が遊ぶ姿を見て笑ってくれた。褒めてくれた。
いっぱいお菓子も持って帰ってきてくれた。俺にも分けてくれた。頭をなでてくれた。
よく分からない味だったけれどごはんも作ってくれた。ちゃんと話をしてくれた。叩かれずに済んだ。怖い思いをしなかった。おなかが空くこともなかった。
あたたかい部屋にいられた。ひさしぶりにベッドの上でねむれた。学校のはなしも聞いてくれた。受ぎょうさんかんにも来てくれるって言った。先生とお話をしてくれるって言った。これ以上おさけをのんだりしないって言った。やさしくしてくれるって言った。おかあさんの話をしてくれた。ぼくがあんまりしらないおかあさんのことをおしえてくれた。叩かれずにすんだ。こわい思いをしなかった。おなかが空かなかった。あたたかいものが食べられた。いっしょにゲームをしてくれた。あそんでくれた。話をしてくれた。
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