鍛冶師であるということ

 ただ楽になりたいという思いに囚われるようになったのは、いつからだろう。


 電気も付けず、ぴったりとカーテンの閉じた暗い部屋の中。
 頭まで布団を被り、ベッドの中で眼を瞑ってじっとしていると、アパートの玄関のチャイムが鳴ったのが聞こえた。
 そして小さなノック音。数分ほど間を置いて、もう一度チャイムが鳴らされる。
 その行動でいつものように彼女が来たのだなと確信した。
 鉛のように重く感じる身体をひきずって、僕は玄関の扉を開ける。

「秀(しゅう)、おはよう」
 
 女性にしては低い、静かで落ち着いた声でその女性が話す。
 僕と同じくらいの背丈なので、やはり女性にしては大きいだろう。

「……おはよう」

 飾り気のない長袖の白いシャツに、デニムのような生地の青いショートパンツと黒いストッキング。
 薄赤いショートヘアに、頬を通る二つ結びのおさげ。
 額から生えた一本角、そして僕をじっと見つめる薄紫色の大きな一つ目。単眼。
 分かってはいたが、そこに立っていたのはやはり”サイクロプス”の蛍(ほたる)だった。

「今、起きたの?」
「いや」
「朝ごはんは?」
「……まだ」
「じゃあ……入るよ」
 
 もういつもの事になってしまったから止める気にもなれず、彼女が家に入ってくるのを僕は黙って眺めていた。





「ごちそうさま」
「ん、どういたしまして……おかわり、いる?
「……いい」

 食欲はほとんどないが、食べ物を無駄にはしたくない。蛍が作ってくれた目玉焼きと焼き鮭の朝食をさっさとかき込むと、僕はまたベッドの上に寝転ぶ。
 そして彼女の顔を見てしまわないように壁を向いた。

「疲れてるの……秀?」
「……別に」

 いつも低めな蛍の声のトーンがさらに落ちて聞こえる。
 なのに僕はまた無機質な返事を繰り返してしまう。

「じゃあ……まだ、眠いの?」
「……そうじゃないけど」
「なら……洗濯する。うるさいと思うけど……いっぱい溜まってたから、しておかないと」
「……ああ」

 こうして突き放そうとしているのに、蛍はそれについて何ひとつ文句を言わない。言ってくれない。
 それどころか、僕の家に来る回数も、僕に言葉を掛ける回数もどんどん増えていくように感じた。
 彼女は寡黙で、進んで自分から人と話したがる性分でもなかったはずなのに。

「……どうして、まだ僕に構うんだ……」

 僕の呟きは洗濯機の稼働音に覆われ、かき消されていった。





 
「……」
「……」

 洗濯が終わり、衣服を干し終えた後も蛍は黙ってベッドの傍に、つまり僕のそばにじっと座っているらしかった。
 テレビをつけることもないから部屋の中は無音のままだ。
 音を立てないよう慎重に寝返りを打って彼女の方を向いても、蛍は時おり視線を彷徨わせているだけで――

「……あ」

 気づかれないように蛍の様子を見るつもりが、ちょうど蛍も僕を見ようとしていたらしい。
 こっちを横目で見る彼女と目が合ってしまった。
 僕の方から彼女に目を合わせたのは、何時ぶりになるだろう。

「……っ」

 何かを言おうとして、無意識に口が開きそうになるけれど、それはまだ自分の意志で抑えられた。
 彼女にこうやって見つめられていることさえ、居心地が悪い。
 見ないでほしい。
 だけど、それは口にしたくないと思ってしまい――また何も出来ないまま、少しだけ無音の時間が流れる。

「秀」
「……何」
「もう少し……そばに行っても、いい?」

 もう蛍はすでに僕のベッドのすぐ横に座っている。
 僕が寝転んだままでも、身体を近づけて手を伸ばせば届くぐらいの距離だ。

「……それは」

 そんなことを蛍が言うのは、ここに来るようになってから初めてだったかもしれない。
 これ以上近づくのは、僕に触れようとするのと同じ。
 そんなことぐらい蛍だって分かって言っているはずだ。

「……秀」

 蛍がゆっくりと身体を立たせ、僕の方へ手を伸ばそうとする。

「う……っ……」

 彼女から、森の瑞々しさと僅かな金属の匂いが混ざったような、不思議な香りが漂ってくる。
 それを意識した瞬間、蛍から目を逸らして僕は叫んだ。

「――やめてくれ!」

 視界の端で、彼女の動きがぴったりと止まったのが分かった。
 そして僕はもう何も見てしまわないようにと、ぎゅっと目を閉じる。

「これ以上、僕に構うな、」

 水の入ったコップが床に落ちたかのように――感情が飛び散る。

「なんで、なんで僕なんかに構うんだ。何がしたいんだ!?
 もう放っておいてほしいから、ぶっきらぼうな態度を取り続けてきたのに、まだ分かってくれないのか……!
 言われなきゃわからないなら、今言ってやる!」

 僕は何を言っているんだ。

「人の家に何度も
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