Sign1 Elf

「ただいま」
 一日の仕事を終えて僕、久島ゆたかはアパートの扉を開けた。温かい空気が僕の鼻腔をくすぐる。そしてその空気に脂の匂いが混じっているのを感じ取った。生姜とにんにくも使われているだろうか。そうなると今日の料理は、生姜焼き……ポークジンジャーだろうか?
 にゅっとキッチンから顔が飛び出てきた。絹糸という形容が一番相応しい、なめらかで薄黄金色の長い髪が揺れる。そんな髪を持つ頭の横からは長い耳がにょきりと伸びている。
 エルフ……妻の久島アーシャだ。
 出会ったあの時と同じような、表情の読めない仏頂面で僕を見て、おかえりと挨拶をする。そしてすぐに彼女はキッチンに引っ込んだ。私はエルフだ、人間に気を許したつもりはない、と言いたげな調子である。
 僕は苦笑いしながら手を洗い、自室に引き上げる。ネクタイを緩め、スーツをハンガーにかけ、風呂に向かう。身体を洗い、暖かな湯が貼られた湯船に身体を沈める……

 ……突然だが諸君、エルフの生活に疑問を持ったことはないだろうか。彼らは総じて弓が得意だ。エルフの里を考えもなしに攻めようとしたら、森の中で高所から一方的に矢を射掛けられることだろう。
 ところでエルフたちはその弓の腕を防衛以外のどこで振るうのだろうか。エルフの里を攻めるようなことがそんなしょっちゅう起きるはずなどない。そうすると、エルフたちの弓の腕は狩りで使われ、鍛えられることになる。
 しかしここで疑問が生じる。彼らの食生活は、基本的には木の実や野菜などの草食系……肉や魚はあまり食べない。肉を食べない彼らがそんなしょっちゅう狩りに出る必要があるとは言えない。ではそれを街に売りに出て外貨を仕入れて生活しているのか? 確かにその例はよく考えられる。だが狩った獲物は全て売りさばくのだろうか? エルフ(特に魔物娘ではない、元祖の)は人間との交流を拒みがちである。そんなエルフが人間との商売のために森の仲間を害することに全賭けするような生活をするだろうか……

 風呂から上がり、僕は寝巻きに着替え、その上から室内用の上着としてパーカーを着る。上がった僕の気配を感じ取ったか、アーシャが夕飯が出来上がったことを伝えた。
 アーシャが作る料理はエルフらしく、ほぼ野菜類で構成されている。例外としては乳製品と蜂蜜、卵(パンやケーキなどに使われている物のみ、生卵や卵焼きなどは食べない)くらいか。お陰で僕も随分健康な身体になったものだ。肉や魚が恋しくなったら、一人や仲間との外食の時に食べる。肉や魚の匂いも得意ではないアーシャが相伴することはめったにない。
 アーシャの普段の料理はさっきの通りだが、さて本日の食卓に並んでいるのは……
 まず目に入るのは玄関の時点で感じ取っていた通り、メインの生姜焼きだ。おおよそエルフが作る料理には似つかわしくない代物。ニラも一緒に炒められているがそれを差し引いても、豚肉である。
 サラダはちゃんと用意されている。これはいつも通り。ほうれん草が魔界の物なのは、これは魔物娘ゆえだろう。
 小鉢は2つもある。たくさんの種類を用意するのは大変なのに、頭が下がる思いだ。1つにはカツオのしぐれ煮が入っていた。これもエルフらしくない。もう一つには山芋のすりおろしと、うずらの卵が入っている。山芋はともかくうずらの卵、それも生というのはエルフらしくない。
 味噌汁は油揚げとオクラが入っている。これはエルフらしい味噌汁だ。普段でもよく出てくる。そして湯気を立てるつやつやの白米。
 これが今日の夕飯。
「食え」
「はい。いただきます」
「……いただきます」
 アーシャにつつかれ、僕は手をあわせて箸を取る。アーシャも箸をとって、サラダを食べる。エルフらしい。
 味噌汁を一口吸い、ベジファーストということで僕もサラダをつついて、そしてメインの生姜焼きをつまんだ。
 豚バラでは脂身が多すぎる、逆にロースだとちょっと硬い。その丁度中間の、ランダムに肉が入っている豚こま肉。小麦粉がまぶされて旨味も閉じ込められたちょっと手間かかっている一品だ。出来合いの調味料ではなく、自分で生姜をすりおろして醤油もまぶして下味をつけて、その上で炒めるときにも生姜を追加した一品。生姜本来の爽やかさとパンチがピリリと効いている。パンチの強化にはにんにくも少し混ぜられているようだ。生姜とはまた違う香りと後味を残していく。基本の味付けは醤油であり、わざと少し焦がすことで風味と香りを立てている。そして全てをマイルドにまとめつつ甘さのようにすら錯覚させる旨味を出しているのが、ラードである。ダイニングの灯りを受けてテラテラと妖しげな光を放つその照りは官能すら感じさせた。これが白米と合わないはずがない。
 咀嚼していると、アーシャと視線があった。相変わらずの仏頂面であるが、サハギンよりは
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