誘う邪竜女王と乱れる勇者

 シュワルツォーラ城を僕は進む。勇者として、マレフドラゴンを討ち果たすため。
 ぜぇぜぇと僕は息を切らしている。剣を振り回して魔物たちを追い払いながら、ここまで来たのだ。消耗する。
 城の造りはとても簡単だった。人(魔物だが)が住むところなのだ。いりくねった迷宮にする必要はない。前庭、エントランス、ホール、大謁見の間と一直線。謁見の間の奥に進むと廊下が続いていて、その先には見上げるほど大きく豪華な扉があった。その扉の前に立つだけで、背筋も凍るような寒気がする。会ったことはないが、間違いなく「ヤツ」がいると確信させる。
 威圧感だけで僕は心が折れそうになった。雨に打たれた子犬のように背中が丸まる。ここで誰かが勇気づけるような言葉をかけてくれればどれだけ助かったか。
 だが仲間はもういない……戦士ブライア、魔法使いステファン、僧侶ターリア……みんな、道中の魔物に捕まってしまった。残ったのは僕一人だ。
「……!」
 温かい言葉はなかったが、僕は背筋を伸ばした。ここで戦意喪失しておめおめと帰ったら仲間たちにあわせる顔がない。その気持ちが僕の折れかけた心を立て直した。
 無言で扉を押し開く。
 先程の大謁見の間は人々を集めて城主が挨拶などをする間なのであろう。それに対しここはごく少数の者を呼んで挨拶をするところらしい。それでも、ちょっとした家の敷地と同じくらい広い部屋なのだが。
 入り口から紅いカーペットは奥へと伸び、数段の段差を這って上っていた。その先には豪華な玉座がある。
 その玉座に脚を組んで座っている者がいた。
 女だ。純白の髪はまるで絹のように美しく腰のあたりまで流れている。紅い双眸がきらりと光って僕を見ている。胸元では大振りなりんごほどもあろうかと思われるたわわな果実が実っていた。胸だけでなく贅肉など一切ないお腹も、惜しげもなく晒している。だが大事なところは黒のドレスが隠している。ドレスの生地は縦長で首から二股に伸び、双丘の頂点を通って下腹部で合流していた。着る者によっては下品極まりないそのドレスを、その女は巧みに着こなしていた。
 その女はただの女ではない。魔物である。
 側頭部からは黒紫の宝石のような角がのびている。腰からは翼膜を持った翼が伸び、背中で折りたたまれている。前腕と膝から先はゴツゴツとした、角と同じような甲殻に覆われている。その特徴はまさに竜。
「よく来た、勇者フィルよ……妾がこのシュワルツォーラ城の主、古の時代では魔王と呼ばれたものの一族、マレフドラゴンのエレノア・アンジェリカじゃ」
 その玉座に座っている者は口を聞いた。声は静かで大音声というわけではない。だがその重厚さは広いこの部屋中に響き渡るかのようであった。
 その威圧に僕の足は一歩下がっていた。我ながらそれだけに留めたのは褒めてもいいと思う。ここから逃げ出したい、あるいはその足元にひれ伏したい、あるいはその身体にむしゃぶりつきたい……そんな気持ちになんとか打ち勝ったから。
 ……いや待った。最後の気持ちは一体何だ? 仲間を失い、それでもなんとかたどり着いた首魁の元。それなのにそのいやらしい気持ちは何だ。ふさわしくない!
 いろんな恐怖を振り払うように僕は剣を構える。玉座で脚を組んだまま、頬杖をついているエレノアは、最上級の魔族の証である紅い瞳で冷ややかに見ていた。
「無粋じゃのう……そのような物を突きつけねば会話もままならぬか? せっかくの男と女の逢瀬なのじゃ。もう少し楽しみたいとは思わぬか? 妾は待っていたのじゃ。お主のようなオスが来るのを」
 背筋を撫でられてるかのような感覚に僕は陥る。その撫でられているかのような感覚は逆撫でされるような不快なものではないのがまた怖い。今こうして恐慌して昂ぶっている気持ちを落ち着かせるような、それでいて別の何かを掻き立てて昂らせるような……彼女の低く柔らかな声は、そんな物を孕んでいた。
 僕はエレノアの言葉に耳を貸さず、じりじりと歩を進める。
「まあ待て。それで遊ぶのも嫌いではないが、挨拶もなしにダンスパーティーを始めるほど無粋ではないのでのう……勇者フィルよ。妾の物にならぬか? さすればお主の望む者は全てくれてやろう」
 エレノアは言葉を続ける。
「冨、名声、権力……人間が望みそうな願いであれば妾はいくらでも与えられるが、お主はそんなものは望まぬだろうなぁ……」
「誰がそんなもの!」
 僕は歩を進める。走ればあっという間の彼女までの距離でも、とても遠く感じた。突進してしまいたい気持ちをなんとかして抑える。曖昧な気持ちのままで飛び込むなど自殺行為だ。
 僕は叫んだが、エレノアは臆せず、くすくすと笑う
「そうであろうなぁ……お主は強くて優しいオスじゃ。お主が妾を倒すための旅に出てからずっとその様子を水晶玉越しに見
[3]次へ
ページ移動[1 2 3 4 5 6..9]
[7]TOP
[0]投票 [*]感想
まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33