中編

「竜宮城を発ちたいと?」
「そうだ……」
 それから……どれほどの時が経ったかは分からない。数日? 半月? 数ヶ月? 分からない。だが、竜宮城での暮らしに政寅は落ち着かなくなっていた。
 浪人の身である政寅にとって竜宮城での生活は贅沢過ぎた。身分不相応な生活と言うのは落ち着かないものだ。それに、政寅はその顔ゆえに疎まれることが多く、同じ所に数日もいたことがなかった。今回の竜宮城が初めてだ。それ故に、政寅は竜宮城を発とうとしていた。飽きとも違う、焦燥感のようなものだった。
「そうですか……考えなおす気はありませぬか?」
「あまり……ない」
「そうですか……分かりました」
 一度は食い下がった乙姫であったが、意外にあっさりと承諾した。献身的でありながら我侭である乙姫が相手ならかなり話は平行線になり、長期戦になると考えていた政寅は拍子抜けた。回りの侍女たちも驚いているようだ。
「良いのか?」
「何をおっしゃいます、この竜宮城を発ちたいとおっしゃったのは政寅様ですよ?」
 口調は歌うようで、怒っている様子はない。それが逆に不気味だ。底知れぬ深海の姫の様子に政寅は胸の内で汗をかく。しかしここで自分が、やはり止めた、と言うのは格好が付かない。寝た子を起こすようなものだ。
「これ……政寅様に例の物を……」
「かしこまりました」
 乙姫の命を受け、赤い着物を身にまとった人魚が大広間から去る。程なくして、彼女は箱を持ってしずしずと戻ってきた。小箱と言うほどでもないが片手でも持てそうなその箱は、黒い漆で塗られており宝石のようにつややかに光っている。さらに箱は金箔で描かれた花が、いやみにならない程度にあしらわれている。そして上品な紫の紐で封をされていた。
「これをお土産にお渡しします。ひと目のつかないところでお開けくださいませ」
「……」
 少しの間、政寅はその土産を貰うかどうか逡巡した。その箱はただの箱ではない。何かを本当に封印したかのような、異様な雰囲気を放っている。しかし……これを無下につっぱねるのも失礼に当たる。
「ではありがたく頂戴する」
 政寅は漆塗りの箱を乙姫より受け取り、小脇に抱えた。そして踵を返して帰ろうとして考えた。
「そう言えば、どうやって帰れば良いのだ。それにあの時の童は……」
 名前は出てこない。忘れてしまった。この竜宮城での生活であの時の少年の名前などどうでも良かった。記憶から抜け落ちている。くすくすと乙姫は笑った。
「そう、政寅様は一人では帰れませぬ。政寅様を帰すもここで飼い殺すも私の一存次第でございます」
「なっ……!」
「……と言うのは半分冗談でございます。きちんと麻里にお送りさせます。麻里も弥助……あの童に会いに行くと言っていましたから」
 ちなみに弥助の方は数日前に麻里に送られたとのことだ。
 半分冗談……つまり半分は本気だったのか、と政寅は震える。改めて深海の姫の空恐ろしさを政寅は感じた。それにひれ伏すかのように政寅は頭を下げ、逃げるように小さくなりながら大広間を後にする。宮殿を出たところで、海和尚の麻里が待っていた……





「おさむれぇさん。有り金出しな」
 地上に戻って二日目。政寅は山を越えようとしたが山賊に襲われた。その数三人。
 政寅はため息をついた。乙姫にいつの間にか入れられていたらしい金子が懐に入っている。それを山賊にくれてやっても良かったのだが……この手の賊は金を渡したからと言って無事で通してくれるとは限らない。そのため……
 政寅は刀を抜いた。やるつもりかと山賊は汚い歯をむき出しにして笑う。そうだ。やるのだ。山賊の強さが大したことがなさそうだと思ったのは、木も多いこの山の中で槍や矛を持っていたからだ。槍や矛は武器の長さ、間合いの長さにすぐれるが、障害物が多い森の中などだとその長さ故に機動力が制限されてしまう。結果……
「おらぁあ!」
 山賊の一人が矛を横に払ったが、その矛は尻が木にぶつかり、政寅に届かなかった。驚いて硬直しているその山賊の胴を政寅は払う。今度もみねうちだ。別に殺すこともできたのだが、研ぎ代を要したくなかったのだ。
 動きを止めず、すぐに横に飛ぶ。政寅がいた空間を矢が通る。その矢はそのまま、倒れ伏している矛持ちの山賊の脚に突き立った。
「があああっ!」
 悶絶する山賊。矢を放った、木の上に潜伏していたもう一人の山賊はあっけに取られた顔をしている。その山賊の股間を目掛けて政寅は石を拾い上げて投げつけた。
「むぐぉおお!」
 股間を抑え、山賊は木から転落する。残る山賊は袈裟懸けにみねうちをかまし、倒した。先日の勇者一行と比べると大したことがない連中であった。
 実に穏やかでないところだ。援軍などが来ないうちに、政寅は倒れ伏している山賊たちを尻目に山道をかけ出したのであった。


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