少年と甲虫

「い、いやだ……来ないでよぅ……!」
 宿屋の息子、ルトラは深夜の森に入ったことを後悔していた。友達たちがカブトムシやクワガタを持っているのが羨ましくて、自分も捕まえたくて、満月が高く上る頃、虫取り網と虫カゴ、そしてランプを手に家を抜けだして森に入ったのだが……真っ暗な森の中で迷子になってしまい、出るに出られなくなった。満月の方向をアテに帰ろうにも、月は雲に隠れてしまっている。極めて良くない状況だ。さらに彼は帰ろうとする途中で転んでしまい、足をくじいてしまった。ランプの炎もそれで消えてしまう。
 涙が滲んできたところにさらに悪いことが起きた。オオカミの群れに見つかったのだ。警戒心の強い獣と言えど、相手が抵抗して来ないと見るとその距離を縮めてきた。哀れ、子どもの柔らかい肉、甘くて熱い血が飢えたオオカミの馳走になるのも時間の問題か。先頭のオオカミの開かれた口からぽたりとよだれがこぼれた。
「パパ……ママ……だれか、助けて……」
 勇者じゃなくたって、自分は男の子だ。なにがあっても泣かない……そう健気に気持ちを保っていた少年は目をギュッと閉じる。彼の目からついに涙がこぼれた。
 そのときである。
 黒い大きな影がルトラの横を風のように通り過ぎた。そしてずしりと重たげな音を立てる。
「ぎゃわん!?」
 ほぼ同時に、先頭にいたオオカミが弾き飛ばされて悲鳴を上げる。ルトラは目を見開いた。
 自分とオオカミの群れの間に何者かが割って入っていた。その者は右手に盾、左手に剣のような物を構えている。武器を持っているということからしてその者がクマなどの野生動物の類ではなく、人の姿をしているのは確かだろう。胸元には丸い果実も見える。
 突然の乱入者にオオカミは警戒をして唸り声をあげていたが、やがてその乱入者を、その奥にいる少年を狙って飛びかかった。
 だが敵わない。駆け出したオオカミに向かって彼女は左手を振る。手に持った武器によってオオカミは空中で叩き飛ばされ、地面に転がされる。切れていないところを見ると鈍器の武器らしい。
 他のオオカミも飛びかかるが結果はほとんど同じ。空中で薙ぎ払われる。一匹だけ、彼女に肉薄したオオカミがいた。そのオオカミは彼女の腕に噛み付く。だが、響いた音は肉が引きちぎれる音ではなく、固い物がぶつかり合う音だけであった。
 煩わしそうに彼女が腕を振る。情けない悲鳴をあげながらオオカミは払われてしまった。こうしてオオカミたちは乱入者に敵わないと悟り、森の闇の中へ尻尾を丸めて消えていった。
「……少年、大丈夫だった?」
 がちゃがちゃと音を立てながら彼女は振り向いた。普通にくるりと振り向かない。わざわざ足をカニのように横に移動しながら旋回する。その音、その動き……その姿。人の物ではない。がっしりとした、四足の機械にでも乗っているかのようだ。それは例えて言うならカブトムシ……
 ルトラは知らないことだが、彼の前にいるのはソルジャービートル。魔物娘の一種である。その甲殻は剣も矢も通さないと言われている、森に住む重甲騎士だ。全体的に今少年の前にいる個体と同じく無口で感情が乏しい。
「あ、あ、ああ……」
 人ならざる者の様子に少年は口をパクパクとさせるばかりだ。だが、暗かったことが逆に幸いした。ルトラはソルジャービートルの姿をはっきりとは目にしていない。ゆえに彼には、彼女を異形の者としてではなく自分を救ってくれた者、という印象が強く植え付けられた。声が女性であったのも彼の昂った精神を撫で鎮めていく。
 しばらくルトラは言葉が迷子になっていたが、やがて「ありがとう」と小さな声で言った。少年の反応を気にすることなくソルジャービートルは続けた。
「……こんな夜の森に何しに来たの……?」
「か……カブトムシを捕まえに……」
 言ってからその姿をした者にそう言うのはまずかったかとルトラは悔恨する。だがソルジャービートルは不愉快そうな表情を見せることはなかった。もともと、無表情だから分からなかっただけなのかもしれないが。
「……やり方が良くない」
「え?」
「カブトムシとかクワガタは夜になってから探すものじゃない……あらかじめ……集まりやすそうな樹に樹液とか蜜を塗っておく……そうしてから、迷わないように目印とかつけて、夜に捕まえに行く……」
 それでも、こうして教えてくれるあたり、気分を害したわけではなさそうだ。
 下半身は人ではない。しゃべり方も無感情で静かな抑揚ない。それでも会話をしてくる目の前の強い存在の女性に少しずつルトラは慣れていった。
「……君は帰った方がいい……おうちはどこ?」
「……ぼく、まいごになっちゃったからもう分からないんだ」
 ルトラはうなだれて答える。困ったようにソルジャービートルは彼を見下ろしていたが、やがて言った。
「しか
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