「けほっ、こほっ……」
「……辛いですか、ハンナ」
質素なベッドの上で、痩せた女性が咳をしていた。その横で白と青を基調にした僧服に身を包んだ男が跪いて声をかけている。女は男を見上げた。
「このくらいなんともありません、クレンメ神父様……けほっ、けほっ……」
答えるハンナの声は、内容とは裏腹に苦しそうだ。その横で男、クレンメ神父は苦り切った顔をしている。
「すまない……私がもっと癒やしの力を学んでいればこのような事……」
「いいのです、神父様……神父様は十分に学んでいます。神父様の書斎を幼き頃より見ている私が知っています」
病床のハンナは小さく笑って見せる。その笑顔は道端でしおれかけながらも咲いている花を思わせた。ハンナの言葉にクレンメは少しだけ慰められるが、本当に少しだけ。自分の回復魔法がハンナをほんの少ししか楽にすることができず、病気を根本的に治すことができないかのように。
「神父様……こんな時に暗い話をしていてはいけません。何か楽しい話をしましょう」
「楽しい話?」
「そうです。例えば、私の病気が治った後、何をするか……」
自身が苦しいと言うのに若きシスターは笑って神父を励まし続けようとする。彼女の気丈さに神父はますます小さくなる。とても楽しいことなど考えられない。だから、質問をする。
「ハンナは何をしたいですか?」
「私ですか? そうですね……この教会を神父様と一緒に出て、二人で色んな所を旅したいですね……」
「伝導の旅ですか? それとも聖地巡礼ですか?」
「それもそうですが……」
その時であった。クレンメが神父を務める小さな教会の扉が開く音がし、男の声が響いた。近くの村の者だろう。
「神父様ぁ、助けてくだせぇ〜! うちの父ちゃんと母ちゃんとせがれがゲェゲェ吐いていやしてぇ……!」
「それは大変だ! すぐ行かなければ……! しかし……」
村人の頼みであるが、それに応えようとすると、病気のハンナを置いて行くことになる。立ち上がった神父は困った表情でハンナを見た。そんな神父にハンナは気丈に笑いかけた。
「いってらっしゃいませ、神父様……私はここで待っています……けほっ、けほっ……」
「……すまない。すぐ戻る! シスター・ハンナに主神の加護があらんことを……」
「クレンメ……けほっ、クレンメ神父に神様のご加護があらんこと……こほっ、こほっ……」
ハンナの祝福の言葉は、病魔による咳で遮られてしまう。神父は後ろ髪を引かれる思いであったが、外套を手にした。
「……無理しなくていい、ハンナ。では行ってくる」
「ええ……」
「……呼んだ方のご両親は毒草を食べたことが分かりました。解毒の魔法で命はとりとめましたが……その時の夕食を一緒にしていた、彼の二人目の奥さんは毒草は食べていなかった……偶然ではありえません。当然これは殺しの未遂……」
真夜中の小さな教会……明かりはろうそくのみの暗い礼拝堂にて男の声が響く。声の主は、闇にそのまま溶けてしまうかのような黒い服を身にまとっていた。黒服の男は礼拝堂の床に膝をついて頭を垂れ、手を組んでつぶやき続けている。
「自警団が呼ばれ、取り調べが行われました。私も三人を診たと言うことで証人として呼ばれ、留められました……」
祈りを捧げると言うより、その声は懺悔のように苦々しい物であった。それを聞く主神の像の表情は当然変わらない。
「そして次の日の夕方に戻ると……貴女は……」
男が頭を上げた。クレンメ神父だ。もともと歳は四十に手が届くくらいであったが、やつれた彼の顔はそれ以上に老けて見えた。
一度頭を上げたクレンメであったが、すぐにまた項垂れた。
「貴女は神の御下に旅立たれていた……」
神父が立つ祭壇の上には黄色いオキザリスの花が供えられている。シスター・ハンナが好きな花であった。再び顔を上げたクレンメはその花を見ながらつぶやく。その更に奥、天にいるハンナに語りかけるかのように。
「水もパンも口をつけられていなかった……おそらく私が離れたその日の夜のうちだったのでしょう……」
育ての親でもあるクレンメもおらず、一人ベッドの上で苦しんで逝った……そのことを考えるとクレンメは罪悪感で胸が張り裂けそうになった。あの時、自分が離れなければハンナを独りで苦しませることはなかった。いや、それどころか命を落とさずに済んだはずだ。それなのに……
だがここで自分が挫けていてはいけない。ここは小さな村の外れの教会であり、村人が訪ねてくることも多いし、旅の者だって一夜の宿として頼ってくることもある。
「だから私は……貴女がこの世を去ってから三ヶ月……主神様のために、そして皆のためにこの身を捧げていますが……」
またクレンメの首が曲がる。その手はもう祈りのために組まれておらず、だらりと、首と同
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