「そこの男、待ちなサイ!」
人気のない森のなかをボロのような着物と袴を身にまとい、編み笠をかぶって歩いているのは旅の浪人、真崎禄朗。仕えていた君主を最近失い、新たな仕官先を求めて諸国を歩きつつ、武者修行をしている気ままな浪人である。
そんな禄朗が森の中を歩いていた時、彼は女の声に呼び止められた。振り向いてみると小柄な女が木の陰からゆっくりと歩み出てきた。なるほどと禄朗は頷いた。武闘家だ。動きやすそうな、布地が少なく切れ込みも入っていて太ももが覗いている武闘装束を身にまとっている。そしてその胸元では悩ましい曲線が描かれている。すらりと伸びる白い太ももが、薄暗い森の中でもイヤに艶めかしく移った。だが、その下では紛れも無く鍛えられた筋肉が脈打っている。
女ではあるがかなり手練の武人のようだ。今はただひっそりと立っているだけなのに、その姿に隙が見えない。凛とした顔立ちが美しく、矢のように鋭い目がこちらを射抜いていた。
これだけ見ると跳ねっ返りの村娘か何かに見える。だが、ただの娘ではない。
その手脚は炎に包まれており、耳は鼠のように丸い物が頭頂部にふたつあり、ひくひくと動いている。
「魔性の者……火鼠か」
禄朗は目を細める。火鼠は頷いた。
「いかにモ。アタシは霧の大陸から修行のために来た火鼠、ジョウシュウ言ウ。アタシと勝負しなさイ!」
独特な霧の大陸訛りの言葉でジョウシュウと名乗る火鼠は真崎に勝負を挑んできた。禄朗は眉を寄せた。
火鼠の生態を禄朗はほとんど知らない。知っていることはひとつ。今目の前にいる彼女のように武人肌の者が多く、同じように武芸に身を置いている男を見たら積極的に手合わせを挑んでくると言うことだ。
ジョウシュウはどこからともなく木剣を取り出して禄朗に放る。禄朗はそれを受け取った。長さおおよそ三尺(約90cm)。禄朗が腰に差している刀より少々長い。
ジョウシュウが問答無用で構える。禄朗は眉を寄せた。彼にとっては気が重い勝負だ。相手は決して弱くはないだろう。魔物娘として持っている天性の運動能力や反射神経、加えて彼女は武術の鍛錬も積んでいる。決して弱くはない。武者修行で経験を積むとしては十分な相手だ。だが、事はそう単純ではない。相手は、女なのだ。女に本気になるのは少々気が引ける。それがたとえ、人間より強い魔物娘としても。また、万が一負けた時は……お笑い草だ。
そして何より……魔物娘の性質だ。絡まれたら一生付きまとわれ、伴侶となる。まだ仕官がかなっていない彼としては、所帯を構えるのには早過ぎる。これらの要素が禄朗をためらわせる。
「さあ、構えなさイ! それとも女のアタシの前から逃げ出すつもリ!?」
木剣を持ったまま動こうとしない禄朗にジョウシュウは挑発する。禄朗はため息を付いた。残念ながら、勝負を挑まれた時点で彼に選択の余地はないのだ。木剣の刃をジョウシュウに向け、柄を両手で握った。二人の間に緊張が走った。
「行きマス!」
「……来い!」
二人の声と共に戦いの火蓋が切って落とされた。
「ハイッ!」
素早くジョウシュウが間合いを詰める。彼女は無手。故に懐に潜り込まないと話にならない。その懐に潜り込む前に禄朗の間合いに入り込まないといけない。だがジョウシュウはためらいなく踏み込んでくる。
『速い……!』
禄朗は驚き舌を巻きつつも、右脚を引き、脇に剣を構えた。そして機を見て剣を真横に薙いだ。しかし、その薙ぎ払いはあっさりと屈んでかわされてしまう。
「甘イ!」
ジョウシュウが屈んでから立ち上がる勢いを加えた掌底を放ってくる。これで顎を撃ちぬかれれば立っていられないだろう。禄朗は前に跳んだ。後ろに跳ばなかったのは、すでにジョウシュウがもう一方の手で追撃の準備をしていたからだ。
「意外とやル……!」
禄朗の判断と行動にジョウシュウも少々驚いたようだ。だがすぐに気持ちを立て直し、彼を強襲する。まだ彼女の間合いだ。
強力な回し蹴りが彼女から放たれた。炎を纏った右足が禄朗の腹部を蹴りぬこうと迫ってくる。上体を反らして禄朗はそれを躱した。だが、重心を後ろに持っていくと言うことは、それは相手に追撃の機会を与えることだ。
「ハイヤッ!」
ジョウシュウの身体が一回転し、左足の踵が禄朗の顎を狙ってきた。大胆な開脚によって彼女の艶かしい太ももと、武闘着の切れ目から艶やかな赤色の下着が露わになる。だがそれに鼻を伸ばす禄朗ではない。身体を後ろに投げ出してそれを躱す。少々不格好であったが、そうせざるを得なかった。地面を転がって素早く起き上がる。身体に土がついた彼をジョウシュウは軽く笑った。
「どうしタ? ジパングのサムライは腰が抜けているのカ?」
「……ふぅうう……」
禄朗は長く息をつく。挑発だ。これに乗って大ぶりな攻撃を見
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