勇者、黒髪に捉えられ堕つ

『くそっ、ハメられた!』
 若き勇者、ディルクは腹の中で悪態をつく。それだけの事態が起きていた。絶体絶命である。
 剣術と魔術の才能があった彼は若干十六歳にして勇者としての洗礼を受け、三人の仲間を引き連れて魔物粛清と魔王討伐の旅に出た。旅は長く続き、霧の大陸を横断し、ついに一行はジパングまでやってきた。
 そこでとある村の宿に泊まることになったのだが……あまりに人間と変わらない生活をしていたので気づけなかった。そこは魔物たちが住む村であった。
 勇者たちが眠っている間に仲間たちは誘い出されて分断されてしまった。そしてディルクの前にも今、宿の女将をしていた魔物娘が立ちはだかっていた。
 ディルクたちを迎えてくれたときはきれいな女性だと思っていた。雪のように白い肌、それを強調するかのような口紅、伏せがちでおしとやかに見える黒目、そして夜の闇より黒くつややかな丁寧に結われた髪……
 今も、一見すると普通の女性である。しかし本性を現し、漂わせている魔力は人の物ではない。異様に長い髪が、彼女が人ならざる存在であることを強調していた。
「タエさん……お前、魔物だったな!」
「ああそうともさ。ジパングじゃ魔物娘と親しい者が多いと言うのに、西の勇者さんは横暴だねぇ」
 宿屋の女将、妙(タエ)は勝ち誇ったように笑いながら言った。紅をさしたくちびるがまるで血を吸った鬼のように恐ろしく見える。だが同時にその朱はとても艶やかにも映った。
 その妖艶さに、若き勇者はぞくりと背筋を震わせた。だがそれを噛み殺し、剣を構える。魔物娘であれば斬る。防具を身に着けていないし、今この場に味方がいないのが心細いが、彼はイルトスト王国を出たころより使っている剣を抜いた。
「へっへ〜ん……西の国の剣の切れ味は悪いとは聞くけど……そんななまくらな剣であたしを斬るつもりかい?」
 剣を構えるディルクを妙はせせら笑う。ディルクは歯噛みした。神の祝福を受けた剣をそのように言われて若き勇者が我慢できるはずがない。
「でぇええええい!」
 ディルクは剣を振りかぶり、妙に襲い掛かった。速い。並みの人間であればそのまま剣を叩き付けられ、血をふいて倒れたことであろう。また、妙は無手。白羽どりなどをする様子も見せない。そしてディルクの刃は妙の首を捉える。勝った。ディルクはそう思った。
「う……!?」
 予想していなかった事態にディルクは驚愕に目を向く。ディルクの刃は確かに妙の首を捉えていた。だが、彼女の身体からは血が流れていない。神の祝福を受けし剣はまるで鉄の板か何かに受け止められたかのように、妙の首のところで止まった。
「はっはははは! だから言ったろう? そんななまくらな剣であたしを斬ることなんてできないって!」
 勝ち誇ったように妙が高笑いをする。そしてふわりと手を挙げた。すると摩訶不思議なことが起きる。妙の髪がひとりでに動き出したのだ!
 髪はぎゅるると剣に巻きついた。ハッとしてディルクは剣を引き抜こうとするが、剣は万力に挟まれたかのようにビクともしない。
「く、くそ……!」
「くくく……ほれ、それっぽっちかい? ほれほれ、もっと気張ってみんか」
 勇者であるディルクはまだ少年に片足を残している年齢とはいえ、勇者である以上非力ではない。だが目の前の魔物娘は髪で縛るだけでその力を上回っている力を見せつけているのだ。思わずディルクは呻く。
「化け物……!」
「おやおや、ずいぶんな物言いだねぇ……そんなことより、ほれ。剣ばかりに夢中になっていていいのかい?」
「……! しまった!」
 彼の足もとに妙の髪の毛が這い寄っていた。彼女に言われてハッとしたディルクであったがもう遅い。その髪の毛は猫のようにディルクに向かってとびかかり、足を縛り上げた。
 さらに数本の毛束が彼に向かって伸び、手を、腰をと、身体を縛り上げていく。そうして妙はディルクを、手足を広げて立たせた姿勢で拘束した。
「おっと、呪文は無駄だよ。封じさせてもらったからね」
「うう、くそぉ……!」
 完全に妙によって拘束され、魔法も封じられた。仲間はおそらく自分と同じように孤立させられている。うまくやらない限り、魔物娘の餌食になっていることだろう。勇者の完敗であった。
「それにしてもひとくくりに魔物娘だの化け物だとひどいねえ……あたしは毛娼妓さ」
 ここで妙が初めて、自分が何者であるかを勇者に明かした。
 毛娼妓……ジパングに住む者ならどのような魔物娘かは想像がつくだろう。その髪の毛が何より特徴的な魔物娘なのだ。彼女たちの髪には妖力が満ちており、自由自在に動かすことができる。そう、今こうして妙がディルクを縛り上げているように。
 ジパングの魔物娘について勉強していたら、ディルクもこのように不用意に剣撃をしなかったかもしれない。だが彼
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