使われし男の……

「朱美!? これは一体!?」
「どうもこうもない。見ての通りだ」
「なっ!?」
 朱美はこれまで丁寧な言葉遣いをしていた。それなのに氷のように冷たく突き放したような話し方をする。これが本性なのか……源三郎はめまいがするかのような気持ちに襲われていた。
 十五で元服し、苦労し城に勤めて早二十年……真面目ではあるが少々偏屈で要領が悪い、道具を大事にはするがケチ臭い……そんな源三郎はなかなか出世できずにいた。今は藩の勘定所の一役人だ。周囲の者が出世し結婚するなか、偏屈な自分は相手もおらずに焦り始めたが、それでもようやくそれなりの立場になれたこの頃……その時に出会ったのが朱美であった。自分に懐いてくる朱美に源三郎は心を開き、共に暮らそうとしていたのだが……その朱美に深夜、大事な話があると廃寺に呼び出された。大雨が降っていたが、傘をさして雨の中、山道を抜けて指定された寺に向かったら……これである。朱美は今、小太刀を構えて源三郎の目の前に立っていた。さらにその背後には頭巾で顔を隠した男が一人。手には抜身の刀が握られている。問答無用で源三郎を斬るつもりだ。
 震える手で源三郎は刀を抜く。無銘の安刀であるが、よく手入れされている。だが腰が引けている構えではその刀の見栄えは竹刀にも及ばなかった。朱美はせせら笑う。
「そんな震えた手で斬れるのか? 女の私を斬ることもできぬぞ」
 少し前までは豪雨が降っていたが、それは今は嘘のように晴れており、荒れ寺は静まり返っていた。故に朱美の声はいやらしいまでに源三郎の耳に響く。
「お、お主……お主は一体!?」
 虚勢を張って源三郎は怒鳴る。一体何者だと尋ねながら、源三郎はもう分かっていた。認めたくはないが。朱美は他国の忍だ。源三郎に色を使って近寄り、内情を探るのが彼女の任務だったのだ。そしてもはや源三郎は用済みと言ったところか。
「切腹前に貴様の殿に告げ口されるのも困るのでな、おとなしくこの荒れ寺の無縁仏になってもらおう」
 朱美が左手を挙げる。始末侍がツッと間合いを詰めてきた。相当な手練だ。おそらくは勝てまい。それでも精一杯の抵抗をして討ち死にをしようと源三郎は震える手を強引に押さえこみ、構えた。
 始末侍が襲いかかってきた。速い。体を開いてかわそうとしたが少し遅かった。源三郎の胸が浅く斬られる。血がつつと肌を伝い落ちるが、まだ致命傷ではない。源三郎は刀を振りかぶった。上段に構えた刀を振り下ろす。始末侍は軽く後ろに跳んで躱した。そして胴を払いにかかる。慌てて刀を構えなおし、源三郎はその刃を受け止めた。あまり良い手ではない。相手の動きを止めることができるが自分の動きも止めるのだ。そしてそれが敵の狙いなのだ。静観していた朱美が小太刀を構えて源三郎に突進してきた。これで脇腹を突き刺し、抉り、命を絶つつもりであろう。もう自分は助かるまい。
『これまでか……』
 それでもその痛みに耐え、せめて一太刀でもこの二人に浴びせよう……源三郎は歯を食いしばる。
 だがその時だった。ものすごい轟音が荒れ寺に響き渡った。穴だらけの障子戸が外側から吹き飛び、傷んだ床の上に転がる。それと同時に何かの影が流星のように飛び込み、源三郎と朱美の間を割って入った。
ガキィイン
 鈍い金属音が辺りに響く。朱美の小太刀が寺の床に転がっていた。あっけにとられる一同。その間に飛び込んできた影がさらに動く。源三郎とつばぜり合いをしていた始末侍の懐に潜り込んだ。どすんと言う鈍い音がしたと思うと、ぐえっと押しつぶされたかのような悲鳴が始末侍の口から漏れる。そのまま彼は目をぐりんと上に向け、倒れこんだ。どうやらみぞおちに一撃が入ったらしい。
「主様には指一本触れさせませぬ」
 凛とした女の声が響いた。その飛び込んできた者の声であった。背丈も五尺(150cm)ほど。大きな傘を開いて肩に担いでおり、その顔は良く見えない……いや、顔はともかく、その傘は本当に"背負って"いるのだろうか? 背負うにしては柄が見当たらない……
「……っ!」
 驚いている源三郎に向かって、朱美の手が閃いた。素早く女がかばうように源三郎の前に立ち、傘を広げる。女は両手を広げており、やはりその傘は女が"持っている"ようには見えない。だがなんであれ、それが源三郎を救った。布団に何かがぶつかったかのような鈍い音がし、続けて床に何かが突き立つ。八方手裏剣だ。
「イヤーッ!」
 裂帛の気合と共に、女が朱美に飛びかかる。その動きは洗練されておらず、獣を思わせたが勢いはあった。空中で傘が折りたたまれる。その傘が一閃し、朱美の首に叩きこまれた。声もなく朱美は床にぐにゃりと崩れ落ちる。
 朱美が気絶したのを確認してから女は源三郎の方に向き直った。一人でに傘が開く。
「主様、ご無事でしたか! いえ、胸のお怪我
[3]次へ
ページ移動[1 2 3 4 5 6]
[7]TOP
[0]投票 [*]感想
まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33