ガラス戸を開けて僕はテラスに出た。紅い満月が中天に浮いている。日が暮れてから結構な時間が経ったようだ。
常に薄暗い暗黒魔界だが、それでも昼と夜の区別はある。夜は今日のような紅い月が上るのだ。
この魔界国家レスカティエも暗黒魔界だ。かつての、宗教国家レスカティエの時に見た白い月の代わりに紅い月が上る。危険な何かを孕んでいるようで、それでも抗えないような、危険な魅力のような物を湛えた紅い月が……
たまに、この国が闇に堕ちる前に見ていた白い月を恋しく思うこともあるけど……この月も悪くない。あ、そうだ。たまにはこの国を出て他の国に旅行するのもいいかも……その方が"彼女たち"も喜ぶかもしれない。
ふと人の気配を感じて僕はテラスから身を乗り出す。果たしてそこには人がいた。僕が今思っていた"彼女たち"の一人、ウィルマリナ・ノースクリムが揺り椅子に腰掛けて何か本を読んでいた。
結構、夢中になって読んでいるようだ。彼女の姿勢は彫像のように変わらない。だけど、ウィルマリナの顔は少しだらしなくにへらと笑ったり、不愉快そうに眉を寄せたりと、くるくると変化する。それにあわせて腰から伸びるワインレッドの尾と翼もぴこぴこと動いたり固まったりと、感情を表しているように動いた。どうやら何か物語のような本を読んでいるらしい。
今でこそ僕に恋人として惜しみなく気持ちを向けてくれる魔界勇者であるサキュバスのウィルマリナ。だけど元は彼女は由緒正しきノースクリム家の令嬢であり、宗教国家レスカティエを代表する勇者だった。勇者であろうとして気持ちを殺し、剣術や魔術の稽古を明けても暮れても行ってきた。当然、読む本も魔術の本や宗教の本、レスカティエや世界の歴史の本などばかり。そんなウィルマリナが物語を読むのは新鮮な感じがした。
しばらく僕は変化するウィルマリナの表情を楽しんでいた。でもいつまでも眺めていても仕方がない。かと言って、読書の邪魔をするのも気が引けた。
どうしようかと僕は迷っていたが、ちょうどウィルマリナが本をパタンと閉じた。どうやら読み終わったか、一区切りをつけたらしい。あるいは、僕の存在に気づいてしまったのかもしれない。
いずれにせよ、彼女が読書を止めた今、話しかけるいい機会だ。
「やぁ、マリィ」
「ごきげんよう」
僕の方に顔を向け、にっこりと笑って軽く会釈する。僕は揺り椅子の隣に立ってウィルマリナの手元を覗きこんだ。
「何を読んでいたの?」
「これ? 異世界からの本で、とある妖狐と王国の本よ」
ウィルマリナが本の表紙を僕に見せる。何やら良く分からない、異世界の文字が書かれていた。こんな本を読むなんてウィルマリナはすごいなぁと思う。それを言うと、彼女は少し照れくさそうに頬を赤く染め、にこりと笑った。人間だった時は「勇者として当然です」とクールに言ったんだろうな……
「どんな話なの?」
「そうね……その昔、霧の大陸に似たような国の話で……とある王の妻はとても美しい女性だったらしいわ。あまりに美しくて、王は妻の言うことならなんでも聞いたらしいわ」
「へぇ、仲良さそうなら良いじゃないか」
僕の言葉にウィルマリナは少し顔をしかめた。
「それだけなら、たしかにね。でもやっている事は為政者としては褒められた者ではなかったわ。酒と妃に溺れて豪遊三昧。特に際立ったていたのが"酒池肉林"ね」
「何だい、それ?」
「何でも庭に穴を掘ってそこにお酒を注いで池にして、さらに豚の丸焼きをたくさん立てかけて林にしたらしいわ」
とんでもない話だ。これをするためのお金は民衆から徴収した税が使われたのだろう。
「もちろん、それを咎めようとする家臣はいたわ。でも片っ端から処刑されたわ」
ウィルマリナの顔がさらに歪んだ。魔物娘は人間というものが好きだ。その人間と魔物娘が結ばれて幸せになると言う話を物語でも現実でも好む。ウィルマリナとて例外ではない。そんな彼女には、人間が死ぬ話はやはり不快なようだ。
「そんな国だったから、とうとう滅ぼされてしまったわ。王は処刑され、妃も処刑された……だけどこの妃が実は九尾の妖狐だった。人を惑わす妖狐は処刑から逃れており、今も人間たちに混乱をもたらしている……そんな、この世界とは違う、異世界の話よ」
「なるほどねぇ……」
「……今宵のこと、考えている?」
「ごめん……」
僕は素直に謝った。今宵と言うのは僕のまた別の恋人の一人の天之宮今宵のことである。魔界国家となったこのレスカティエを解放しようとジパングからやってきた退魔師だ。でも彼女も、ウィルマリナが教団の勇者から魔界の勇者になったように、退魔師から魔物へと堕ちた。人間を辞め、妖狐と同じ狐の魔物、稲荷となっている。その彼女のことを、妖狐の話を聞いて僕は思わず連想してしまっていた。連想するなと
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