「ルナ様、お客様です」
上弦の月が地平線に沈む頃、侍女のワーバットがヴァンパイアのルナ・オルト・ブラントームに報告した。花に関する書物を読んでいたルナは目を上げる。
「誰かしら? 特に人と会う予定は入っていないのだけれども……」
自分でつぶやいてから、ルナはハッとする。人と会う予定は確かに入っていない。しかし、そんな予定など関係なしに訪ねにくる者には心当たりがあった。侍女も、まだ何も言っていないがルナの推測が当たっていることを表情で語っている。
「……通しなさい」
「はい」
お辞儀をひとつして侍女は去っていった。ルナはふぅとため息を一つつく。別にその来訪者は招かれざる者と言うわけではないのだが……が、数日はいろんな意味で、良くも悪くも、賑やかなことになりそうだ。手元の本をしまい、ルナは応接間に向かった。
「久しぶりね、ルナ。元気にしていた?」
応接間に通されていた"客"の女は気さくな調子で、この屋敷の主であるルナに話しかける。格好も屋敷に来るようなフォーマルな物ではない。黒のショートマントを羽織り、その下には丈が胸下までしかない短い黒いシャツを着ている。そのシャツは胸に無理やりリンゴを詰め込んだかのように少々キツそうだ。下は上と同じ黒のショートパンツにブーツと言った格好だった。その格好で彼女はソファーに腰掛けたまま、立ち上がろうともせずにリラックスしている。傍らの肘掛には広いつばの黒いチロルハットが置かれ、さらにサーベルが立てかけられていた。
そのくつろいでいる客に、ルナも挨拶を返す。
「久しぶりね、姉さん。おかえりなさい」
そう、この"客"はルナの姉、ソレーヌ・オルト・ブラントームである。ブラントームの分家、ブラントーム・オルトの長女で、そしてダンピールだ。長女と言うことで本来はソレーヌにブラントーム・オルト家の継承権はある。しかし周囲の意見やまた自身の希望により、彼女は継承権を断り、家を出て気ままに旅をしている。そして今、故郷とも言えるルナの屋敷に戻ってきたのだ。
このソレーヌが、ルナは少々苦手ではった。やはりヴァンパイアはダンピールというものに勝てないのか、それとも姉と妹という関係ゆえか、あるいはソレーヌとルナがそうなってしまうのか、ルナはソレーヌにいろいろ言いくるめられてしまったりいじられたりすることが多いのだ。だが嫌いという訳ではない。むしろソレーヌはルナにとって大好きで大切な姉だ。ただ、一方で疎ましく思うことがある。そんなところだ。
「陶酔の果実のお酒はいかが?」
「うーん、今はお酒って気分じゃないわ。ペリエをもらえるかしら?」
「分かったわ」
侍女を呼びつけ、ルナはペリエを用意するように言う。ペリエはすぐに運ばれてきた。それで喉を潤しながら二人はおしゃべりを始める。
「それで、姉さんは今回はどこを回ったの?」
「今回はザウォーロン首長連邦国や常冬の国を回ったわね。なかなか楽しかったわよ」
そう言ってソレーヌは自分が旅してきた国の美術文化・食文化・技術・価値観などについて説明した。ルナもその話を熱心に聞く。
「ところでお土産は?」
「そう、それ!」
しばらくして切り出したルナの言葉にソレーヌは指をパチンと鳴らした。
「ガーヴァニって常冬の国の港町で買った魚の塩漬けも良いんだけど……良い物があるのよ」
そう言ってソレーヌは立ち上がって応接間の隅に置かれている壷に近寄る。この壷はルナの屋敷に置かれている壷だ。一見、何の変哲もない壷だが、これはかなり貴重な壷である。
その壷の蓋を開けてソレーヌは声をかける。
「もしもーし、配達を頼んでいたソレーヌ・ブラントームだけどー」
ややあってその壷がガタガタひとりでに揺れだす。そして次の瞬間、少女の頭が壷からひょこっと出てきた。そう、つぼまじんだ。名前はキャシー・ビフォーデフォン。つぼまじんの壷が異空間に繋がっていることを利用して、各地へ頼まれた品の運送を生業としている。"人食い箱"の異名で行商をやっているミミックのアニータの妹分的な存在だ。大抵は各地に展開されているアニータの運送会社にキャシーの壷は一つ置かれているが、このブラントーム家のように、貴族の屋敷に置かれていることもある。これはその貴族がアニータやキャシーと契約することで置かれるのだ。世界中を旅するソレーヌはこのキャシーを使ってお土産をルナの屋敷に届ける。
「あ、は、はい! ソレーヌ・ブラントーム様ですね! え、えーっと……ルナ・ブラントーム様のお屋敷にバカラオ(タラの塩漬けの干物)と……えーっと、謎の品エックスのお届けですね?」
キャシーはつぼまじんの性格らしくどうにも臆病で人と話すことが苦手だ。会話するにしても顔の上半分しか出さず、緊張しているのがよく分かるような喋り方をする。
「そ
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