「これが研究の成果です」
「うん、ご苦労さま」
玉座に腰掛ける女に跪いた男が恭しく、書類の束を渡す。玉座に座っている者は受け取った資料に目を通していた。結果に満足したのか、玉座に座っている女は満足げに口角を釣り上げる。資料を手近なテーブルに置き、彼女は立ち上がった。すらりとした高い身長を映えさせる、歪みも偏りもない立ち方が、彼女の育ちの良さを伺わせる。
ヴァンパイア。
魔物の中で貴族と称される種族だ。実際のところ彼女、ルナは貴族である。ブラントームという、比較的名が知れ渡った家の令嬢だ。分家ではあるが。本家の屋敷から遠く離れた片田舎にある館に彼女は住んでいる。
「上々の結果よ、クドヴァン。あなたがいてくれるおかげで研究がどんどん捗っているわ」
「もったいなきお言葉でございます」
ルナの言葉に男、クドヴァンは畏まって言う。 このクドヴァンはルナの夫だ。既にインキュバス化しており、ルナとしては自分と同等の立場と考えている。しかし彼は、「ルナの部下」として振舞っている時はこのように堅い態度を崩さない。
本家から離れたこの田舎の屋敷で彼女は何をやっているか。
それは農作物の品種改良の研究である。
もともとブラントーム家が支配している地方は虜の果実や陶酔の果実、夫婦の果実や睦びの野菜を商業の主力としているところだ。この土地で産出される作物はどれも最高級品で、物と販売場所によっては果実一粒で金貨一枚にもなるような代物だ。
ルナはこれらの農作物のより質の良い物、より安定した供給を目指すべく、研究をしている。
今ルナが読んだ研究結果は睦びの野菜、通称魔界いもの品種改良の物だ。従来の物より甘さが増し、蜜もしたたるほどになっている。
「メランアリコ様もお喜びになるでしょう」
「表には出さないでしょうけど、まあ喜ぶでしょうね」
メランアリコと言うのはブラントームの本家の跡取りのヴァンパイアのことだ。ルナの従姉にあたる。本家の跡取りであり、自分以上に貴族然りとしたすまし顔の従姉のことを考え、ルナは苦笑した。
「それはともかく、一仕事終えたからゆっくりしたい気分だわ」
「心得ております。湯浴みの準備はすでに始めております。今日はいかがいたしましょう?」
ヴァンパイアは普通の風呂には入れない。真水に触れるとそこから痺れるような快感が走って何もできなくなってしまうからだ。しかし、ハーブ湯になどにして真水でなければヴァンパイアも湯浴みができる。クドヴァンの問いは今日の湯に何を混ぜるかを訊ねるものだった。
「今日はシンプルに海水風呂がいいわ」
「かしこまいりました」
「それから、貴方が先に入って上がっておくこと」
ルナが付け加えた。クドヴァンがルナの夫であり、すでにインキュバス化していたとしても、ルナがこの館の主である。
その主より先に風呂に入ると言うのは異例のことだ。
つまり、異例であるがゆえに、特別な意味があった。
「かしこまいりました」
クドヴァンは静かに頷いたのであった。
★
バスローブに身を包んだルナが、侍女のワーバットを連れて寝室に向かっていた。もう数刻もすれば夜が明ける。
ヴァンパイアとしての一日はもうすぐ終わりだ。一日の疲れをルナは海水風呂で落とした。だがこれで終わりではない。
「ここでいいわ。貴女は戻りなさい」
「はい、かしこまいりました。それではおやすみなさいルナ様。よい夜明けを」
一礼してその姿を消す。それを見届けてから、ルナは寝室の扉を開けた。実際のところ、扉を開けてすぐは寝室ではない。ちょっとした部屋だ。寝室に行くにはもう一つ扉を開ける必要がある。その扉をルナは開けた。
小さな家一つ分の広さではないかと思える寝室の中央に、クイーンサイズのベッドが安置されている。ここがこの屋敷の主の寝室だ。その寝室に先に入り込み、ベッドに腰をおろしている者がいた。そのようなことが出来る人物は一人しかいない。
「ごめんなさい。待ったかしら」
「ああ、待った待った」
ルナの言葉に彼女の夫であるクドヴァンが応えた。しかしその口調は先ほどの物とは打って変わり、とても気さくな、それこそ夫が信頼している妻に向ける物であった。人間であったころの名残でクドヴァンは今もルナの部下として研究の仕事をしているが、インキュバスになってから二人きりであればこのように気軽にルナに話しかけることが許されていた。呼び捨ても許されている。むしろ、ルナがそれらを望んだ。
「退屈はしなかったけどね」
「うふふ、いろいろ用意してくれたようね。ありがとう」
同じようにバスローブを身にまとっているクドヴァンの横に腰を下ろし、ルナは目を細める。アロマ・ハーブであるメルティ・ラヴが焚かれており、甘い香りが寝室に漂っていた。近くに座った二人はそっと身体を寄せ合う。クドヴァンの腕が
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