虫と畑

 虫によく食われる野菜は、それだけ美味いということだ。
 顔なじみの商人の口癖を思い出し、男は頭を掻いた。
 与えられた農地は人里から離れているものの、ひとり黙々と畑仕事をするのは性に合っており、さほど苦には感じない。こんな広い畑を一人で耕しているのか、と驚かれることはあるが、そうしなければ時間を持て余してしまうという事情もある。
 採れる野菜は種類も量も多い。虫食いのある野菜を取り除いても、土地の持ち主に納め、自分で食い、それでもなお冬への備えを作れる程度には余る。
 だから、問題はない。多少は虫にやってもいい。一寸の虫にも五分の魂。あいつらも生きているのだ。小さいものたちへの施しであると考えれば、気分もいいではないか。
 そう思っていた。
 施しと言うには随分多くの野菜を、一晩のうちに食われてしまうまでは。

「……虫?いや、獣の仕業か?これは」

 呟いて、ぽとりぽとりと短く落ちているキュウリの食残しを見つめる。虫が食うというのは、もっと小さく穴が空くものだ。これはまるで、大きな獣が食らいついたか、人間が手づかみで齧りついていったようではないか。
 暇つぶしに立てたかかしが役立ってくれていたのか、今まで獣が畑に来たことはなかった。畑を柵で囲っていなかったのも、そのためだ。しかし、これほどの被害を出すものが来るというのであれば話は別。
 面倒だが、木材を買うか木を伐るかして、柵を立てねばならんだろうか。
 木こりではない男は、立木に向かって握り慣れない斧を振らなければいけないことを考え、辟易する。
 つぎに町に出たとき、獣除けについて尋ねてみようか。そうだ、まずはそれがいい。
 眼前の面倒ごとから避ける手段にたどり着くと、今度はひとり頷いた。
 とりあえず目を背けることに成功したものを除けば、今すべきことは、食い荒らされた野菜の片付けである。

「そんなに美味かったか。俺の野菜は」

 独り言をこぼす男の表情は苦々しい。
 今朝収穫するつもりだったキュウリとナスは半分ほどが食われてしまった。近くの村へ持っていけば糠に漬けてくれる。すっかり柔らかくなるまで深く漬けられたぬか漬けは、それだけでいくらでも飯が食えるほどだが、今年はそれもいくらか少なくなってしまうだろう。
 幸か不幸か、食われたのは既に大きく生っていた野菜だけ。まだ小さなナスやキュウリ、葉の伸びていないダイコンなどは手を付けられていない。
 食い残されたナスを拾って、まじまじと見つめる。ヘタの近くを残し豪快にかぶりついた痕がある。ナスなどそのまま食うものではないだろうに、そんなに腹が減っていたのか。

「……埋めるか」

 散らかしておくわけにもいかない。食い残しでも拾い集めて埋めておけば、多少は土の栄養になるかもしれない。
 落胆を単純な作業で塗りつぶすように、男は納屋へ向かう。戸もまともに閉まらないほど建付けの悪い粗末な小屋で、中もろくなものは入っていない。クワやスキなどを置いているだけで、がらんとしている。
 その、がらんとした小屋に、それはいた。

「なんだ、こいつは」

 緑色の柔らかそうな胴は鳥の目に似た模様があり、足のような突起もいくつか並んでいる。
 知っている限りで最も近い生き物は、青虫。しかし、明らかに青虫ではない。
 頭にあるのは人の髪に似た緑の毛と、橙色の突起。
 すぴすぴと間の抜けた寝息を立てて眠っているその顔は、人間のそれと同じである。
 人に近く、また、人でないものに近い。そういった生き物。虫でも獣でも人でもなければ、つまりは。

「……妖怪か」

 見たことがないわけではない。
 町に行けば人と暮らす妖怪の姿もそれなりに見られる。腰から下が蜘蛛の女や、体が布でできているような娘もいるのだ。青虫の妖怪がいてもおかしくはない。
 幸い、こちらに敵意はないらしい。単に起きる気配がないと言うべきかもしれないが。
 男は寝ている妖怪を跨いで通り、壁に立てかけていたクワと床に転がっていたカゴを担いで納屋を出た。
 畑に落ちている野菜のクズをカゴに放り込み、片隅に穴を掘る。
 野菜クズを穴に落としたら、土を被せる。
 さて、クワを片付けたら、今度は水やりを――。
 しかし、振り向いた男は、そこで固まった。

 動いていた。青虫の妖怪が。
 我が物顔でずるずると畑を這い、短い手で器用にダイコンの葉に触れ、吟味している。好みに合わないのか、隣の畝で青々と伸びたネギには目もくれてない。

「……いやいや、待て、待て」

 我に返った男は、慌てて妖怪に駆け寄った。持っていたクワを取り落としてぱたんと畑に倒れたが、構ってはいられなかった。

「こら、何をしているんだ」

 明らかに厳しく叱る声色だったが、その青虫は驚きもせず、のそのそと胴の半分ほどを持ち上
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