青年のもとに手紙が届いたのは、数日前の事。
封筒にすら入っていない、便箋を折りたたんだだけの手紙には、「丘の屋敷の売却が決まったので、片付けを手伝いに来い」とだけ、久しぶりに見た兄の字で短く書かれていた。
丘の屋敷。祖父母の暮らしていた邸宅を、みんながそう呼んでいた。
最後に行ったのは、まだ八つか九つか、それくらいの時だった。
もうすっかり記憶は薄れてしまったが、それでも、その広さと華美な装飾には、感動を通り越して恐怖した覚えがあった。
住んでいた祖父母が亡くなってしまった後、縁者で住みたいと言う者もおらず、売ることになったのだろう。確かに、あの美しい屋敷なら、買い手などいくらでもいるはずである。
そう思っていた青年は、久しぶりに訪れた「丘の屋敷」を見て、呆然とした。
くまなく敷かれた絨毯は薄汚れ、廊下の隅には埃が溜まっている。飾られた絵画は老朽化したフックが外れて傾き、美しい花の生けられていた花瓶は、腐った水を湛えるだけになっていた。
「来ていたのか。早かったな」
青年の兄は、頭に付いた埃を払いながら言った。
「ああ、兄さんも早いな。……その、思ってたより、ひどいな」
花瓶を見つめたまま、青年は答えた。
長いこと放置されていたとは知っていたが、ここまで酷い有様だとは思っていなかった。もっと早く、何かできたのではないか。
浮かび上がってきた後悔を、頭を振って忘れる。
そんな弟の姿をどこか悲しげに見ながら、兄は話題を逸らすように言う。
「お婆様とお爺様の思い出の品は全て、二人の墓に埋められたから、ここに残っているものは好きに持っていって良いそうだ」
「持っていっていい、と言われてもな……」
この花瓶や絨毯を見るに、まともな物は残っていないだろう。
弟がそう考えたのを察したのか、兄は苦笑して言った。
「お爺様のガラクタを纏めた部屋は、まだ誰も見ていないぞ」
「そんな部屋、あったか?」
「覚えていないのか?」
驚いたな、と兄は目を丸くして、続けた。
片付けの終わっていない祖父の部屋もそのままに、「こっちだ」と案内する。
「お前が小さかった頃、あの部屋に一人で閉じ込められて、みんなで探し回る羽目になったんだぞ」
「そんなことが……あったかな?」
「わんわん泣き喚きでもすればすぐ分かったのに、閉じ込められておきながらじっと静かにしてたから、探すのにも余計に時間がかかったんだ。覚えてないか?」
「……覚えてない」
青年は首を傾げて必死に思い出そうとしてみたが、どう頑張っても、そんな記憶は出てこなかった。
「都合のいい頭だな……ほら、ここだよ」
鍵もかかっていないドアを開けると、錆び付いた蝶番が耳障りな音を立てた。
長い事閉ざされていたのか、埃と共にカビ臭い空気が廊下へ流れ出し、兄弟は揃って咳き込んだ。
「……ひどいな」
「探せば価値のある物も残っているかもしれないが……部屋ごと捨てたいくらいだ」
壊れた家具や、よく分からない絵などが無造作に放り込まれている部屋は、もはや、ゴミ捨て場にも等しい惨状だった。
青年が勇気を出して部屋に踏み込んでみると、一歩目から蜘蛛の巣が顔に引っかかり、早々にこの部屋を片付けなければならない事に嫌気が差した。
お前に任せたとでも言うように部屋に入ろうとしない兄は、蜘蛛の巣を振り払う青年を見ながらため息をついた。
「お爺様は、何を思ってこんな物を集めていたのか、一度聞いておくべきだったな」
「そんな事言ってないで、手伝えよ」
手近な物を片っ端から部屋の外へ放り出しながら、青年は訴える。
濡れて読めなくなった本や、脚の折れた椅子、子どもの落書きの様な絵、丸い石。統一感も何も無いゴミの数々を、適当に引っつかむ。
「さっきまでお爺様の部屋を掃除していたから、休憩だ」
「そうか。じゃあ、俺もこの部屋を掃除したら休憩しよう」
他愛も無い会話をしながら、部屋を埋めていたゴミを投げ出し続けると、ようやく、この部屋が物置であった事を示すような棚が現れた。
そこに置いてあるのも、穴の空いたボールや、鏃の取れた矢など、価値など無いものばかり。
確認するのもめんどくさくなり、掴んだものを全部投げ捨てようと思い始めたところで、青年の手が、何かの瓶にぶつかった。
その拍子に瓶は倒れ、緩んでいた蓋が外れて中身が棚の上に零れ出す。
「うわっ……くそっ、面倒だな」
瓶の中身は、花から精製された香油だった。比較的最近ここに放り込まれたのか、劣化はしていない。瓶も汚れておらず、綺麗なままだった。
倒れた瓶を戻し、床に転がり落ちた蓋を探す。
四段ほどある棚の一番下の段は、不自然な程に綺麗だった。お陰ですぐに蓋は見つかったが、同時に、そこに
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