気まぐれなお嬢様に仕える者は、きっとこんな気分で日々を過ごしているのだろう。
ベッドに腰掛けた青年は、膝の上に乗せた「少女」の髪をブラシで梳きながら、ぼんやりと考える。
開けっ放しのクローゼットからは、何着ものドールサイズの服が覗いている。いずれも人間用のドレスとくらべても見劣りしないほどに華やかで、当然その値段も相応のものである。
元々空きが多かったとは言え、今では、クローゼットの中身は青年の服よりもドール服の方が遥かに多い。
「おにいちゃん?」
青年の手が止まった事を訝しみ、少女は仰け反って頭上を仰ぐ。
「作り物のように」整った顔立ちに、はめ込まれた青い目。上等な香油で手入れされている空色の髪。
きぃ、と小さく鳴った頸部の球体関節だけが、この愛らしい少女はあくまでも人形であると示していた。
「ああ、ごめん。ちょっと、考え事」
「わたしの事?」
「……そうだよ」
祖母の家に残されていたこの人形を引き取ってから、随分時が経った。
日々を共にし、愛情を注ぎ、体を重ねるほどに、人形は美しくなっていく。
「ふふっ。おにいちゃんは、いっつもわたしの事ばっかり考えてるんだから」
青年は、人形の言葉に肯定する代わりに髪の手入れを再開する。
久方ぶりの再開を果たした時にはボロボロだった髪は、この世に比べるものは無いだろうと思うほどの美しさを得た。
空色の髪に似合う衣装は、この人形が魔物であると知られても問題無い場所で完璧な採寸を行ってから、人形用の衣服を制作している有名な工房へ事細かに注文をした特注品である。
青年もその出来栄えには満足しているが、衣装を纏っている人形は、「おにいちゃんが用意してくれたのだもの。どんなお洋服でも嬉しいわ」と繰り返している。
「ねえ、おにいちゃん」
今度は、髪の手入れの邪魔にならないよう俯いたまま、人形は青年を呼んだ。
「なんだい?」
「おにいちゃんは、わたしに赤ちゃんができたら嬉しい?」
ぴたり、と、髪を梳く手が止まる。
子を成す。
彼女は人形である。しかし同時に魔物でもある。
人の物差しでは測れない存在である。
球体関節で動く小さな体に命を宿すことも、不可能ではないだろう。
だが、青年はあくまでも冷静を装い、逆に尋ね返した。
「急に、どうしたんだい」
ベッドサイドのテーブルにブラシを置いて、青年は人形を抱きしめる。
すっぽりと腕の中に収まったまま、「だって」と人形は答えた。
「この間、お出かけした時。おにいちゃん、赤ちゃんを抱っこした人をじぃっと見ていたわ。わたし以外のものを見つめるなんて、そんなに赤ちゃんが欲しいのかなって思ったの」
記憶を辿り、あぁ、と思い至る。
確かに、市場で立ち食いをしている最中に、特に理由もなく赤子を抱いた女性を見ていたかもしれない。
曖昧な記憶しかないのだから、きっと、その時の自分にとっては本当にどうでも良い事だったのだろう。
しかし、青年には、この小さな人形の言う「欲しい」が、一般的な夫婦の言う「子供が欲しい」とはどこか違うように思えた。
言うなれば、単純な所有欲を満たすための行為。愛の結晶ではない、単なる「赤ん坊」という物の要求。
「……いいや、いらないよ」
「そう?じゃあ、約束して?今度は、ちゃんと、赤ちゃんじゃなくてわたしを見ていてくれるって」
「……ああ、約束するよ」
青年が答えると同時に、人形の首がきりきりと後ろを向いた。
満足そうな幼い笑みを浮かべたまま、額をぐりぐりと青年の胸に押し付ける。
「そんな事をしたら、せっかく整えた髪が乱れるよ」
「いいの。今は、おにいちゃんにこうしたいんだから」
仕方ないなとため息を付き、青年は気ままに甘える人形を優しく抱きしめ続ける。
いつまでも、いつまでも。
その日も、青年はただひたすらに、人形のために尽くしていた。
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