手付かずの木材を前に、見習い木彫り細工師である少年はひたすらに悩んでいた。
腰の高さほどの作業台に並ぶのは、それぞれ用途の違う、何本もの刃物たち。両親から貰い受けた、彼の大事な仕事道具。しかし、それらに手を付ける気配はない。
依然として綺麗に整ってしまっている道具たちから逃れるように視線を向けるのは、傍らに置かれた一枚のメモ。
それは、少年に与えられた木彫り職人としての初仕事にして、大舞台。
新たに夫婦となる二人のために作られた祭壇へ、ふさわしい装飾を。
話は、数日前に遡る。
ある海沿いの町にある、木彫り細工の工房。そこに、注文が舞い込んだ。
来客の対応が下手な職人気質の父に代わり、少年は尋ねてきた神父から詳細に話を聞き、メモを取った。結ばれる二人のこと、新婦の願いで式は浜辺で行うこと、そして、そのために新たな祭壇を作って欲しいということ。
急ぎではあるが、難しい仕事ではない。尊敬する父親であれば、問題無くできる仕事である。自分が手伝うのは、木材の調達くらいだろう。
お願いします、と頭を下げて帰っていく神父を見送りながら、少年はそんな事を考えていた。
しかし、工房で待っていた父親はそのメモを見るやいなや、少年に「祭壇自体は俺が作るが、装飾はお前がやれ」と言ったのである。
どうして、どうやって。
真っ白になった頭の中でようやく疑問の言葉が結ばれた頃には、父は工房で図面を描き始めていた。
少年にとって、父親は親である以前に、師であった。その師から作品に携われと言われるのは、決して些事ではない。
しかも、その内容が結婚式に関わる物の装飾ともなれば、今まで簡単な仕事すら任せられた経験が無い少年が怯んでしまうのは当然だろう。
当然、少年は父親に訴えた。
しかし、父親は「お前の仕事だ」の一点張りで、ならばせめてどんなデザインにすれば良いかを教えてほしいと言われても、「お前が考えろ」と取り付く島もない。
結婚式のために何かを、という注文は、初めてのことではない。愛の女神への信仰が篤い場所ということもあり、祝福のために父が色々な紋様を木に刻んだり、像を彫っているのを間近で見たこともある。
仕方なく、少年は父親の隣で、鉛筆を手にして装飾の案を描こうと試みた。
だが、引き始めた線は、はっきりとした形になってくれない。
物心付いた頃から見てきた父親の作品はいくらでも記憶の中にあるのに、そのいずれも、自分がこの工房で彫れるようなものではないとしか思えない。
翼を象った模様、女神様の像、教会にも掲げられている紋様。
見慣れたはずのすべては、父と自分の技量差という壁を通って曖昧な形に変わってしまう。
それが、もう数日続いている。
父は手が早い。早ければ明後日には祭壇が完成するだろう。そうなれば、自分の番である。父の作品に、見劣りしないような装飾を入れなければいけない。
父の手伝いをしている間は、「いつ自分の作品を彫らせてもらえるようになるのか」と思っていたものだが、いざ突き放されるように仕事を与えられると、手伝いだけをしていた日々はどれだけ気楽だったのか思い知らされている。
やがて、少年は鉛筆を投げ出すと、父が木を彫る音のせいで集中できないんだとでも言うように工房を飛び出した。
知人たちから投げかけられる挨拶にも曖昧な返事だけを投げ、向かうのは、件の式場となる浜辺。
生まれも育ちもこの町である少年にとって、海はとても身近な存在だった。砂に足を取られずに駆け回るくらいはお手の物で、ざらつく潮風も肌に馴染んでいる。
だが、この時ばかりは、砂浜に腰を下ろしていても、どうにも落ち着かない。
今は静かなこの浜も、式が始まれば大いに賑わうだろう。酒と料理を楽しみながら、歌に言葉に踊りにと祝福は千千に繰り返され、その幸福なお祭り騒ぎの中心には、新たな祭壇が一つ。
詳細に想像できる式場の様子の中で、ただ、そこにある祭壇の装飾一つだけが曖昧に霧がかっている。
ふと、懊悩する少年の傍を、影が通り過ぎた。
雲とは違う、円を描いて動き回る影の正体を探して、少年は空を見上げる。
温暖な気候の町に光を注ぐ太陽と、透き通った青い空。
そこに影を作っていたのは、大きな翼を広げた何かであった。
逆光のせいでよく見えないが、人の形をした身体に、鳥の翼と脚が付いてるのはシルエットでも理解できる。
たまに手紙を持ってくるハーピーだろうか。いや、新婦となるセイレーンが下見に来たのかもしれない。
色々と想像を巡らせている内に、その魔物は徐々に高度を下げ、少年から少し離れた砂の上に着地した。
見れば、その魔物は褐色の肌に、格子模様の入った青い布をぐるぐると巻きつけて服代わりにした、妙な格好をしている。肩からは
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