羊飼いと牧羊犬

 時計台の鐘が、夕刻の訪れを告げる。
 しんと澄んだ空気を揺らしながら、鐘の音は町を抜け、草原も越える。
 山沿いの放牧場でまどろんでいた若い羊飼いは、いくらか遅れて届いた鐘の音で目を覚まし、立ち上がった。

「……よし、帰るか」

 軽く伸びをして、見ながら呟く。視線の先には、好き勝手に放牧場で戯れる羊たち。
 それだけで、彼の隣で伏せていた犬が「わふ」と気合を入れるように吠えて、駆け出した。

 背中側が黒く腹側が白い、モノトーンで構成されたボーダーカラーの毛並みに、理知的な瞳。
 革の首輪に「クルル」と刻印されたドッグタグをぶら下げた牧羊犬は、数度、放牧場内で円を描くように駆け回る。
 クルルが一つ円を描くごとに羊たちの群れは小さく纏まり、やがて、群れはめぇめぇと鳴く一つの塊となった。
 その塊と共に、羊飼いと牧羊犬はのろのろと帰路を辿る。
 時折、我侭な羊が道端の草を食もうとして立ち止まるが、そのたびにクルルに吠え立てられては、群れへと戻されていた。

 しばらくそんな事が繰り返され、やがて群れは一つの小屋へとたどり着く。
 先んじて小屋の戸を開けて待っていた羊飼いは、牧羊犬クルルに追い立てられた羊の数を、いち、に、と口に出しながら数えていた。
 羊たちは、あくまでも預かり物である。未熟な自分を雇ってくれた所有者のためにも、どこかに一頭逃げてしまった、なんて事があってはならない。

「減ってない、増えてない。問題ない」

 慎重に、二度三度と繰り返して確かめ、羊飼いはようやく満足そうに頷いた。
 めぇめぇと鳴く羊たちは、犬に追い回されたことに文句を言っているようにも、まだ外に居たかったと不満を言っているようにも見えた。
 そんな羊たちに「また明日な」と答えて、小屋の扉を閉める。
 その間、クルルは小屋の外に座ったまま見張りをしていた。
 いつ、どこで、何をすればいいか、全て知っている。
 指示の必要もない。クルルは優秀な牧羊犬である。
 同時に、人とは疎遠にある羊飼いと心を通わせた、唯一の存在でもある。

「クルル」

 だから、主が優しい声で呼んでくれた時は、自分のためだけの時間が始まるとも知っている。
 狼が牧場の近くに来ていないか見回り、羊たちを追い立て、もう十二分に駆け回ったはずなのに、それでもなお、クルルはボロ布を丸めたボールを咥えて、羊飼いに「遊んでほしい」と無言で訴えた。

「暗くなる前には、終わりにするからな?」

 羊飼いも愛犬の元気さに苦笑しつつ、遊びに付き合うことにした。
 ボールを受け取り、おおきく振りかぶって、投げる。
 クルルがそれを追いかけ、時には空中で、時には地面すれすれで、器用にボールを口で捉える。
 そして、咥えたボールを羊飼いのもとへ。
 単純な繰り返しだが、クルルの尻尾はちぎれんばかりに振られていた。

 夕日が町の向こうに消え、投げたボールの行方が人の目には見えなくなった頃。
 羊飼いは羊小屋の方へ下手投げでボールを転がして「今日はおしまいだ」と告げた。クルルは転がるボールを反射的に目で追いはしたが、帰宅する主を引っ張ってまでわがままを通そうとはしなかった。

 ただいま、と呟いて羊飼いは小さな小屋の扉を開ける。
 そこは、羊小屋よりも小さい、最低限の家具しか置いていない安普請だったが、羊飼いは特に不満を覚えることはなかった。
 火を使った料理もできる。ベッドで寝られる。水場も近い。
 男一人と犬一匹が暮らしていくのに、そんな多くのものは必要ない。

 ただ、町に行って幸せな家庭を持つ人々を見るたびに、少しだけ羨ましく思うことはある。
 羊が生活の大半を占めるような暮らしに付き合ってくれる妻を探すのは、楽なことではない。

 食事を終え、パジャマがわりの古着に着替えてベッドへ入った羊飼いは、愛犬を見ながら冗談めかして呟いた。

「お前くらい付き合いが良ければ、嫁さんも迎えたいんだけどな」

 羊飼いの古着を集めたお気に入りの寝床でまどろんでいたクルルは、その小さな声に顔を上げた。
 呼ばれたと思ったのか、命令を待つ時の目つきでじっと羊飼いを見つめる。

「ほら、来い」

 何気なく、気まぐれで。羊飼いはベッドの場所を開けて、クルルを招く。
 緩やかに尻尾を振りながらベッドに飛び乗ったクルルは、しばらくぐるぐるとその場で回ってから、落ち着く場所を見つけて丸くなった。
 羊飼いの腹に顎を乗せるような姿勢で、満足そうにため息をつく。
 この地域は、標高が高いこともあって空気が冷たい。犬と一緒に寝ても、寝苦しくて起きるようなことはない。

「……おやすみ。ベッドから落ちるなよ」

 明日も、今日と同じように、羊たちの世話をする。
 朝起きて、クルルと一緒に羊を見張って、夜眠る。
 明日
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