黄金色に揺れる

 パン屋の一人息子であるルウにとって、パンの配達は、自分のできる手伝いの中でも一番楽しいものだった。
 お父さんの焼いた、まだ温かいパンを紙に包んで、ひとつ、ふたつ、みっつとカバンの中へ。
 お母さんの作ったサンドイッチは、焼きたての温かいパンとは離しておく。
 忘れ物がないことを確認してから、もう一度メモに目を通す。
 宿屋と工房にサンドイッチ、領主様の所にバケット、空いたジャムのビンを貰ってくるのも忘れないように。

「……よし、行ってきます!」

 両親の「行ってらっしゃい」という声も置き去りにして外に飛び出すと、パン焼き窯の熱に慣れきっていた体に寒気が滲みた。
 吐く息は白く染まり、粉雪の中へと消えていく。

 かつて、その町は一本大きく引かれた道に店が連なるだけの宿場町だった。それが随分と大きくなったのは、今代の領主が魔物との共生を宣言してからである。
 遠くに見えるのは、決して白さを絶やさない凍り付いた雪山。吹き下ろす風が町を凍えさせているとまで言われるような、吹雪の止まない山。
 だが、どれだけ風が冷たくても、大地が凍り付いてしまっても。町は決して活気を失わない。
 雪山を踏破した人々を、雪原を抜けてきた人々を、温かく迎え入れる。そして、次の場所へと向かう活力を与える。

 ルウは、そんな町を誇りに思っている。そんな町で、ささやかながら役目を持っていることを、誇りに思っている。

「おう、ルウ君。いつもありがとうなあ」
「外は寒いでしょ?ほら、ちょっと、お茶飲んで行きなさい」
「ああ、ルウちゃん、うちの子がまた一緒に遊びたいって言ってたよ。よかったら、遊んでやってくれな」

 だから、あちらこちらで声をかけられるたびに朗らかに笑って答え、寒い中を駆け回ることも苦ではない。
 いつかはお父さんのような立派なパン屋さんになって、町のみんなに美味しいパンを振る舞いたい。そんな夢も持っている。
 しかし、率先してお手伝いをするルウも、結局はまだまだ子どもである。目の前に好物がぶら下がっていれば一も二もなく飛びついてしまう。
 つまり、店に戻り、父親に「お手伝いのご褒美だ」と好物のブルーベリーパイを焼いてもらうと、その手順を見るのも忘れて今か今かと焼き上がりを待つだけになってしまうのである。

「ルウは、本当に美味しそうに食べてくれるなぁ」

 店内に置かれた空樽の上に座ってパイを頬張るルウは、若い父親の言うとおりとても幸せそうな顔をしている。
 そんな自分の姿が客寄せになっているとは、つゆほども思っていない。「美味しそうだから、おやつを買っていこう」という客が店にぞろぞろ入ってきてもお構いなし。
 ただ、大好物のブルーベリーパイを、焼きたての最高に美味しいタイミングで食べられる幸せを噛み締めている。

 だから、町では見たことのない魔物の姿に気付いたのも、その魔物が店を出て行ってからだった。

「……さっきのお客さん、はじめて見た」

 惜しむように一口分だけブルーベリーパイを皿の上に残したまま、ルウは窓の外を、遠ざかっていく魔物の背中をじっと見つめて言った。
 ブラウンのコートから出ているのは足ではなく、蛇の尻尾。ラミアだろうか。しかし、ゆらゆらと揺れる尻尾の先には、鳥のような羽根がついているようにも見える。

「ああ、たまに来て、パンを買って行くんだよ。どこに住んでるかは知らないけど、頭の上に雪積もらせてるのを見ると、町の外から来てるんだろうな」
「町に住めば楽なのに、わざわざ外に住んでるの……?」

 町の外も中も、寒いことには変わりない。それでも建物があるから風はしのげるし、そうでなくとも雪の中を長々と歩くのはつらい。
 別に、魔物だから追い払うなんて事も無いのだから、町の外に住むくらいなら、引っ越してくればいいのに。

 そう思う程度には、ルウは魔物を特別視などしていない。人間とは姿形が異なるだけで、恐れる理由など何もない、親しい隣人でしかない。
 だから、「事情があるんだろう。色々と」という父親の言葉も、さほど真剣には受け止めなかった。
 それよりも、「もうすぐ夕ご飯なのに、『半ホール分のパイを食べたので、ご飯が食べられません』なんて、お母さんに叱られないだろうか」などという不安の方が、よほど深刻だった。

 そして、その不安は、現実のものとなった。

「おやつだけじゃあ大きくなれないって、いっつも言っているでしょう?これからは、ご飯前のおやつは全面禁止です」

 半分近く残してしまった夕食を前に、ルウは縮こまってお説教を受けていた。
 確かに、野菜もお肉もパンもスープも、好き嫌いせずご飯を食べないと大きくなれないとは、お母さんが毎日のように言っている。だからおやつを食べすぎてはいけないとも言われている。
 
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