旅の途中、とある海沿いを歩いていた時の事。
ぶちん、という音に足元を見れば、草鞋の緒が切れていた。
背負っていた竹製の行李を下ろして中身を確かめるが、どうやら今切れたものが最後の草鞋だったらしい。何足か纏めて買っておいたのだが、いつの間にやら全て履きつぶしてしまったのかと少々驚く。
切れた箇所を強引に結わえ付ければ、まだしばらくは歩けるだろう。しかし、空には既に日暮れの色が差している。おとなしく、今日はここらで一夜を過ごすとしよう。
旅籠屋か、そうでなければ宿を貸してくれそうな人は居ないだろうかとあたりを見回すが、民家こそあれど、人の気配はしない。
もしや、漁に出ているのだろうか。そうも思ったが、浜に船を出した跡はない。朽ちた小屋にも、漁師道具の一つすらない。
既に、廃村になったのかもしれない。もしそうであるのならば、かつての住人には悪いが勝手に屋根を借りさせてもらおう。
早々に浜から上がろうとした私は、何かに引き止められたような気がして足を止めた。
あるいは、それは気のせいだったのかもしれない。凪いだ海は音も立てず、目を凝らしたところで魚の一尾も見当たらなかった。
そんな、海辺らしからぬ静寂の中で、水平線の彼方に夕日が沈もうとしていた。赤く、空と海を染めながら。
強いて理由付けをするのならば、その美しい景色の訪れを感じ取った私の無意識が、足を止めさせたのだろう。
こうした景色との偶然の出会いも、旅の醍醐味と言えるかもしれない。そんな事を思いながら、暫くの間、沈みゆく夕日をただじっと見つめていた。
やがて、夜の色が夕焼け空を塗り替えはじめた頃。ようやく静寂は破られた。
点々と砂を踏む音。獣では無い、人の足音。
振り向けば、その足音の主は少し遠巻きにこちらを見ていた。
「あっ、こんにっ、こ、こんにちは……」
突然振り向いたので、驚かせてしまったらしい。控えめに頭を下げた少女の声は、明らかに動揺していた。
しかし、驚いたのはこちらも同じである。
その少女は、息を呑むほどに美しかった。
わずかに日に焼けた肌は瑞々しく、傷一つ見当たらない。頭巾の下の黒髪は尼削ぎにしているが、それもまた、田舎の少女らしい純朴さを際立たせている。
身に纏った装束は、何を目的にしているのか、海亀の意匠をあしらった見たことのない形のものである。だが、それが異様に思わされるような事もなく、むしろこの少女にはよく似合っていた。
ただ、背負った大きな亀甲だけは小さな体躯に不釣り合いなほど重たげで、何らかの罰を負わされているのではないかと訝しまざるを得なかった。
「えっと……あの、旅の方、ですか?」
おどおどと尋ねる声に、我に返る。
思わず見惚れてしまっていたが、笠を被った見知らぬ男に見下されていたら、それは怖くて当然である。
謝罪の言葉とともに笠を脱ぎ、今度はこちらから尋ねた。
いかにも、旅の途中である。このあたりには明るいか。宿を貸してもらえそうな所を知らないか。
簡潔に、少々気が弱そうに見える少女を怯えさせないような口調で。
「宿……宿、ですか……」
袖を唇に当て、少女はしばし考える仕草を見せた。
装束の袖は亀の手にも似ており、先に行くに連れて大きく広がっている。少女の手は、その中にすっぽりと隠れてしまっているらしい。
「ごめんなさい、思い当たる所は……」
やはり、廃村か、それに等しい状態にあるのか。
少女に礼を言い、当初の予定通り、空き家を借りるために浜を上がろうとする。
しかし、今度こそはっきりと私は呼び止められた。「あのっ!」という声は、臆病そうな少女のどこから出たのかと思うほど大きな声だった。
「よろしければっ、わたしの家に……!」
それは、とてもありがたい提案だった。だが、すぐに「では頼む」とは返せない提案でもあった。
どこに住んでいるのか。
この近くです。
家族と住んでいるのか。
いいえ、わたしだけです。
今まで、誰かを泊めたことはあるのか。
いいえ、あなたが初めてです。
そんな問答をすれば、顔をしかめたくもなるだろう。
純粋な善意から出た申し出だとしても、いや、だからこそ、素性も知らぬ男を家に泊めるなど。
あるいは、この少女はそれによってどんな事が起こり得るのかも想像できないほど、純粋なのかもしれない。
本来ならば、断るべきだろう。しかし、空き家を借りるくらいならば、見知らぬ少女の家を借りたほうが面倒は少ないだろうか。
幾昼夜も共にするならばともかく、一夜の宿を借りるだけならば、寝て起きて出立して、それで終わりである。そもそも間違いを犯せるほどの元気も無いのだ。
しばらくの思案を挟み、結局、世話になることにした。
少女の
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