「鳥の幸福とは、何なのだろうな」
しばらくぶりに訪れた遊郭の宿屋にて。
じっと窓の外を見ていた男が、唐突に言った。
何の前触れも無い言葉の真意を探るべく、傍らに座っていたヨシノも外を見る。
しかし、日暮れの空には鳥など一羽も飛んでいない。ただ、顔を出し始めた星々が見えるだけであった。
それでもずっと空を眺め続けている男を不思議がって、ヨシノは首を傾げる。
「鳥、でございますか?」
「ああ。それも、人に飼われているような、籠の鳥だ」
諧謔とはかけ離れた、重苦しい声色。
眉間に皺を寄せ、どこか遠くを睨み付けている。
男が何かを腹に抱えているのは、誰が見ても明らかであった。
「……憂いを、抱いていらっしゃるのですね」
「そんな立派なものではない。ただ、買われていく鳥を見ていると時々思うのだ。食うに困らぬとは言っても、翼もろくに広げられずに生きるというのは幸福であるのか、とな」
どこか含みを感じさせながらも、今一つ真意のはっきりしない疑問だった。
それに倣うようにして、ヨシノも曖昧に、言葉を濁して答える。
「たとえ籠の中にあろうとも、寵愛を受けられるのならば……それが、幸福なのではないでしょうか」
「……そうか?」
「ええ。それに、籠の外も知らぬ鳥は、羽ばたく喜びなども知らないでしょう。私は、そう思いますよ」
「……成程」
納得したというよりも、単に会話を終えるためだけの首肯をして、男は引き続き窓の外を睨み付けた。
ヤナギ曰く、あの日鳥屋に集まっていた鳩たちは、ほとんどが知人の飼っている伝書鳩であったらしい。
何か事情でもあるのだろう。「近いうちに長く店を空ける事になるかもしれん」と言いながら、ヤナギはその知人と頻繁に手紙をやり取りするようになった。
そんな手紙を運ぶために慌しく往復を繰り返す鳩たちの中には、あの鳩もいる。
文鳥と歌う、奇妙な鳩。
仲間が餌をつついていても、一羽だけ都度都度文鳥の籠の足下までやってきては、しばしさえずりを交わし、やがて仲間を追って飛び去る。
信じがたい話だが、二羽の間に奇妙な絆があるのは気のせいなどでは無かったらしい。
「……籠の外が、恋しくはならんのか」
鳩と文鳥の事を考えていたはずであった男は、気付けばそんな事を口にしていた。
そして、それがまるで何かを責めるような口調であった事に驚いたのは、他ならぬ男自身であった。
取り繕おうと慌てて首を横に振り、眉間を押さえてため息をつく。
「いや、すまん。今日はどうも調子がおかしいようだ。忘れてくれ」
しかし、ヨシノは多少驚いた風ではあったものの、決して機嫌を損ねた様子は無かった。
落ち着き払い、ただ、男の隣で微笑む。
「……私が良く知る、一羽の鳥の話をいたしましょう」
そして共に外を見つめたまま、一つ二つと間を置いてから、語り出した。
「その鳥は、とある見せ物小屋の籠の中で生まれました。いえ、正確に述べますと、まるで湧いて出たように、気付いた時には籠の中にあったのです」
ヨシノの凛と澄んだ声が、静かな部屋に響く。
「雛として親鳥に育てられた記憶も無く、おぼつかない羽ばたきで巣立った覚えも無い。それでも、そこで生きるための振る舞いだけは教わらずとも知っておりました。すなわち、鳴き、踊り、楽しませるという事を。そのためでしょうか。籠の内に現れた鳥を見せ物小屋の主も訝しがりはしましたが、結局、その鳥を追い払うのではなく、籠に閉じ込める事にしました。他に飼っていた鳥たちと、同じように」
相槌も打たず聞き役に徹していた男が、横目でヨシノの顔を盗み見ようと試みた。
しかし、長い髪に隠された表情は隣からでは窺えず、今までの振る舞いから推す事しかできない。
滔々と語りながらも、僅かに俯いている。おそらく、目は閉ざしているだろう。
「見せ物小屋の中で、鳥はひたすらにさえずり、踊り続けました。ですが、鳥はそれを不幸とは思ってはおりませんでした。契機を迎えるまで、それ以外の事など知らなかったのですから」
おもむろに、ヨシノは髪に差したかんざしに触れた。
遊女の飾りとしてはいささか小さなかんざしを、愛しげに撫でる。
「……とある方に、籠の内へと手を伸ばして語りかけられた時。その鳥は、自分が本当は何を望んでいたのか。何故籠の中にいたのかを、知りました」
そこで一度、言葉を切った。
別室で催されている宴席は、相当に興が乗っているらしい。
沈黙の訪れた部屋の中にまで、歌う声や踊る足音が聞こえてきている。
「……籠から逃げ出す事は、望まなかったのか?」
しばらく黙っていた男が、不意に尋ねた。
その問いかけに、ヨシノは首を横に振って否定する。
「……籠を開ける術も、そこか
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