五話 8月未明(どうやら8月だったことは覚えているらしい)


炎天下。
いつぞやエミールの死を思い出すような暑さがやってくる。

地下に眠る酒樽の調子を見るために商会の友人のところから戻ってきた私は一
息着こうと部屋へ戻った。
机の上に乱雑に置いてある手紙。
新製品の紹介や各種請求書に魔術媒体のカタログなど大小様々な大きさのもの
が置いてある。
手紙の配分は基本的に煩雑になりがちなので妻にお願いをしていたが最近は
自分でやることにしていた。
いや、せざるを得なかったのだ。

今月初頭ぐらいだっただろうか。
私の家にエミールから手紙が届いたのだ。
どこから出したのかと思えばアークインプを使い郵便機関を使わず届けている
らしく、ここに住んでいる私にしてみればそれは非常に危険極まりないことだった。
以前私が協力するのを断ったことへの腹いせのつもりなのだろうか。
手紙に目を通せば準備は進行しているだの何だのいろいろ危険なことがかいて
あり、近況報告と言うよりはテロの声明文に近い内容文だ。
乗りこんで文句の一つでも着けてやりたいところだが今は繁忙期。
片道半日かけるあの場所へ行くのはがんじがらめのこの状況では限りなく不可
能なことだった。
妻も私の仕事をそれなりに引き受けてくれてはいるが、もし彼女の目にこんな
危険な内容の手紙が入ろうものならそれこそ一家は破滅するだろう。
こうして私は、ひやひやしながら来てほしくもない手紙を待ち遠しくしていた
のだった。

「はあ……仕方がない。探すか。」

出かけに乱雑にしておいたのは自分だが、いざこうして自分の手で探すとなる
とやはり億劫になるものだ。
手紙の山の端から裾野にかけて丁寧に振り分けて行く。
すぐに見つかった。
お手製の紙媒体でできた彼のメッセージが。

「やれやれ…。」

印もなければ宛先もない。ただの容れものと化しているそれの封を切った。

私の名前を皮切りに様々なことが書いてある。

自分の体が幼児退行を起こしていること。
ホムンクルスの媒体が持たないこと。
インプへの愚痴、悪態、そしてのろけ。

いつも通りだ。
遠まわしに救援を要請しているような文面にも見えたが、
やはりそれはどうしてもできない。

しかし…老いていまさら亭主になったエミール。
やれやれ、面倒見切れない。

「ばかばかしい。昼は忙しかったし少し寝るか。」

手紙を全て振り分け終わると、私は横になる。

部屋の時計に私はなんとなしに目を向ける。

秒針が同じ速度で回り、分針が動いたか動かないかぐらいの速度で傾く。
同じ時間にいながら、同じ時間から外れた男。
まるでこの時計の針のようだ。
感じる時間は同じなのに進む速度だけがこんなにも違う。

「あら?ずいぶんと汚い部屋ね。レディを招くならもう少し綺麗にして
 くれないと。」

「……ッ!?」

聞き慣れぬ声に私は身をひるがえした。
側にあった枕を両手でつかみ振り上げる。

「あらあら。そんな物騒なことしないで。あなたにもあたしにもまだ役割が
 残っているんだから。ここでそんなにおいたしたら駄目じゃない。」

少女…いや女性?
大人の女と少女の狭間をふわふわしているような…。
いや、どうでもいい。
私の目の前には女がいる。
娘でもなければ嫁でもない。

鮮烈な桜色の唇は大人の女性を醸し出し、透き通る白い肌は見るものを惹きつけ、
女性としての美しさをあらん限り追求したようなプロポーションは野獣にとび
かかってくださいと言わんばかりの肢体だ。
――魔物だ。
自己紹介されるまでもなくすぐに理解できた。

「何者だ。」

「私はリリム。魔界の王女…みたいなものかしら?立ち話もなんだし座ってい
 いかしら?」

「…勝手にしろ。」

「じゃあ…そうするわ♪」

リリムと名乗る少女は自分が仕事で使う椅子に腰をかける。
ギイという音が鳴ると不安そうに椅子を揺らして見せた。
露出の高い気品のあるドレスのような彼女の服にはやはり不均一な感情が芽生
える。

「結論から言うとね。あなたの知り合いいるでしょ?時間をいじっちゃった
 魔術師。というか…付き添いの小悪魔さんかしら。」

ああ、と生返事を返す。
が、リリムは気負いせずに話を続けた。

「あの子の時間逆行のせいで魔界が大変なことになっているわ。」

「まってくれ。どうして魔界が関係あるんだ。いくら召還術があるとはいえ
 人間界で起こっていることが魔界に影響しているとは考えにくい。」

「あら、詳しいじゃない。ご褒美ポイント10あげるわ。」

「いらん!」

「そう?あつめるとあとでキモチイイことできるのに♪」

くすくすと笑う少女に私はバツが悪そうに顔をそむけた。
会話に振り回されそうになる。普段はこんなことはないのだが…何だか調子が
狂う。
手のひらに乗せられて転がされているような気分だ
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