雨が降っていたが私にはどうしても出かける用事があった。
娘が傘を忘れたらしい。
昼ごろに気がついたのだが仕事で店を空けるわけにもいかず、妻は商店街の婦
人会に出ていったためいなくなっていた。
「あれ?おじさん、何そわそわしてるの?」
「いや、別にそわそわしてなんか…ああ君は。またパンを買いに来てくれたの
かい?」
「えへへ〜♪」
にんまりと笑顔を浮かべる少女。
トレイとトングを持ち店内を小刻みに歩き始めた。
先月の出会いから彼女は常連客になっていた。
来る日も来る日もパンを買いに来ている。
パンだけじゃない。
ジパング産煮干しのビン詰とか普通の髪飾りとか。
まとめて買えばいいものを彼女はどういうわけか日をまたいで毎日買いに来て
いた。
町に行く口実が欲しいのか。
私も子供のころ田舎暮らしだったから、そうであるならその気持ちはわかる。
「今日は一緒の男の子はいないのか…えーとなんて言ったかな?」
「エミールおにいちゃんのこと?」
ああ、と返事をした。
生返事だ。
私はふと彼の詮索がしたくなってしまった。
余計なこととは思うが、何かがカンに障るような気がしたからだ。
「うーんとね?おにいちゃん…あんまり町にいきたくないみたい。」
「雨だから?」
「ううん、ずっと。」
「親に止められているとか?」
「ちがうよ。おにいちゃんは今とってもいそがしいの!」
少女は胸元に手を入れ紙を取り出す。
なんというかませた子だ。
その服にポケットがあるかどうかは知らないが。
「いまおにいちゃんはこれを使って私のお友達を呼ぼうとしてるの!」
「お友達…。」
「うん!この紙に書いてあるんだよ!『みんなおいで』って。」
「…これは…。ま、待て、君、このエミールって言うのは…」
「どうしたのおじちゃん。これはお兄ちゃんの名前だよ。」
「……!?」
どういうことだ。
訳がわからない。
死んだ彼の筆跡が今ここ残っている。
紙の材質は比較的新しい事を考えるとどう見ても昨日今日生きているはずだ。
しかしそこに書かれていたのは見たことのある文字…いや、筆跡だ。
円形魔法陣に描かれたその一部に彼の名前が刻まれている。
エミール・グロリアズ
間違いない、これは彼の名だ。
あいつは金を払わない癖に領収書はしっかり書くやつだったから今でもその筆
跡は目に焼き付いている。
―――私はこの時ばかりは目を疑った。
彼が生きているとかどうかじゃない。
その横に書いてある物に恐怖したのだ。
目覚めしもの、かの地に呼び出されし者の名を告げん
目覚めしもの『エミール・グロリアズ』呼び出されし者『アークインプ』
目覚めし者その契約を全うすべし。
呼び出されし者その契約を全うすべし。
その契り、(判読不能な字)の元に締結する。
「……」
言葉に詰まる。
魔法に関して詳しいほうではない。だがこれがただの落書きに見えることもなかった。
ただのいたずらであってほしいこんな誓約書がエミールの筆跡によって強く説得力
を持たせる。
これは悪魔を呼び出すものだと。
「どうしたのおじちゃん。」
少女が屈託のない顔でこちらに問いかけた。
不意に少女の笑みが後ろ暗いものに見えてくる。
「き、君は…」
アークインプなのか。
そう言いかけた時だった。
カランカラン!
ドアに設置した来客用のベルが鳴る。
「もー!雨に降られて大変だったー!パパ!暖炉使っていい!?」
「……。」
「…パパ?」
「あ、ああ使っていいよ!タオルはお風呂場にあるから!」
「はーい!」
娘が帰ってきてしまった。
そうだ、出かけるつもりだった。
始めは億劫だったのだが…
今はこの場から逃げ出してしまいたい。
娘の帰宅により言葉をさえぎってしまったが…聞かない方がよかったのだろう
か。
あるいは聞いておくべきだったのだろうか。
「ねえおじさん。答え、教えてほしい?」
「…!!」
「おじさんもよく知ってる場所だよ…今度は遊びにきてね♪」
彼女はトレイに乗せたパンを律儀に買ってそのまま店を後にした。
投げるように放った代金の音が耳に残っている。
もし彼女がアークインプならそれはこの町の平和を脅かしていることになる…
のだろうか。
もし彼女がアークインプならそれはエミールが生きている証拠になるのだろう
か。
彼が生きていた所で私に見返りがあるかどうかは微妙だが、この胸の内に眠る
モヤとも言うべきものが晴れるのかもしれない。
それはきっと事実だ。
私はこの出来事を教団に相談しようとも思ったがあの頭の固い連中の事だ。
下手をすれば町に魔物を入れたとか共謀したとかで私の家族が全員路頭に迷い
かねない。
だが、胸のざわつきからだろうか。
私は約5年ぶりにエミー
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