序章 5年前

人里離れた森の中での出来事だ。
私は今でも彼の最期を鮮明に覚えている。
あれはまだ夏の出来事。
森の中にとにもかくにも虫がわき、それを嫌がるアルラウネに見つからないよ
うにこそこそと彼の家を目指していた。
魔法使いの友人に悪魔召還の生贄(といっても山羊の肉とかではなく何故かお
菓子等といったものだ)を頼まれ、わざわざ足を運ぶ。
…足を運んでやっているのだ、はあ。
誰が言ったかは知らないが友人は選んだほうがいいという言葉がある。。
今日は心底そう思ったものだ。
これから起きる出来事を含めて。

「待たせたな。エミール。」

「ん?ああこれはこれは。して君はだれだったかな?私は研究で忙しい。」

私はこのエミールという魔法使いが嫌いだ。
話は聞かない。言うことは聞かない。
加えて言うなら報酬を払わない。
わがままな魔法使いが偏屈ジジイになってしまった以上もう手の施しようはな
いだろう。
だから嫌いだ。

「んほほお!これこれこれじゃよ!これこそ生贄にふさわしい!」

「この動物のクッキーがか?」

「そうとも!彼女はこれを望んでいるのだ!」

「……。」

エミールは『自称』魔界から魔物を呼ぶスペシャリストだった。
私にはいまいちこの偏屈魔術師が魔物を呼ぶ行動が理解できない。
魔物は人間と性交して新たな子孫を産む女性のみの種族。
それゆえに人間の男が必要というのは理解できる。
しかしそれはあくまでも勇者のような力を持つ者だからという前提の話で、ち
ょっと優秀なだけの魔術師であるこのジジイの前に現れるのかというのは疑問
の残る話だった。
このジジイは若き日に魔物に魅入られてからというもののその日からずっと彼
女の事が忘れられないのだそうだ。
純愛というか呪いというか。
妻も子も捨ててこの森のはずれで召還術を必死になって研究していたのだとい
う。
魔物召還の魔術自体は秘匿性が高く危険性も高いため情報が共有できないこと
が多いと言っていたがたぶんそれは誤魔化しだろう。

「さて…では呼び出そうではないか!アギルの粉をビーファムの枝に振りかけ
 火をくべる!そして…」

エミールが私に聞かせるように声高らかに召還の工程を告げながら作業を始め
る。
いつもこうだ。
人のことを毛嫌いするクセに話だけは聞かせようとする様は性質の悪い大学の
教授の様。
やれ…面倒だ。私は帰るとしよう。この後は港で仕事だ。
次の取引先の心配をしながら私は目の前の老人の背に一瞥した。

「では私はこれで失礼します。何かありましたらまた手紙で知らせてください。」

「いや待て早まるな!もう少しじゃ!」

エミールは最後に私が持ってきた動物の形をしたクッキーをごうごうと燃える
火の中にくべた。
火は一層の火力を増し魔法陣が輝き始める。
何を呼ぼうというのだろう。
炎の勢いに若干の危機感を抱きつつも好奇心から足を止めた。

「手始めにインプを呼ぼうと思う。あれはワシの長年の夢じゃった。」

「インプ?」

炎の輝きがギラギラとエミールの歪んだ笑顔を照らしている。
魔術師としては様になっているように見える。
しかし…何を呼び出そうと思えばインプ。
ここまで来ると呆れてものも言えない。
インプ程度なら研究を一からしなくても魔術図書館などですぐに工程が見つか
る。
こんなことで半生を使い込んだというのだろうか。

「そうだとも!ただしワシが望むのはあの時あの場所で出会ったインプなんじ
 ゃ!」

私にはあの時あの場所で出会ったインプがどういったインプだったかは知らな
い。
しかし彼が今からやろうとしていることは望んだインプを特定したうえで呼び
出そうとしている。
魔物を呼ぶこと自体はいいとして特定の個人を呼び出すためにはあらかじめ
契約の一つでもしていないと困難を極める。
たとえるなら海の中にいる魚に石をぶつけるようなものだ。

「だからわざわざあの販売中止にまでなった思い出のクッキーを高い金を出し
 て買わせにいったんじゃ!」

「なるほど…」

相槌を打ってみたもののそれが召還の役に立つとは思えない。
おそらく一緒にあのお菓子を食べでもしたのだろう。
なんと言うか幻想だ。
そんなものがインプ召還の役に立つものか。私は納得はしていなかった。
もういいだろう。
後は水入らず好きなだけ愛をはぐくめばいい。
私はここで引き揚げさせてもらう。

踵を返しドアを開けようと思ったその時だった。
熱い。熱すぎる。私はいきなりの温度上昇に右手で視界を覆った。
夏の灼熱じゃない、もっと物理的な熱さ、熱気。
振り返れば魔法陣が灼熱を帯びて太陽のごとく輝いていた。

「な…なんだ。」

「こ…これは、あ…熱いッ!?」

「おい爺さん魔法陣が暴走してるぞ?アンタ何をやらかした!?」

「ふ…フフ…フ
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