雨が降りそうなあいにくの天気だが私にはどうしても出掛ける用事があった。
事の始めは隣に住む友人が持ってきた一通の手紙。
飛脚が急ぎでもってきたというその手紙を開けると私の医者としての師匠からの手紙だった。
手紙には「屋根の修理の際に身を落っことし、腰痛で部屋から一歩も出られなくなってしまった」
と文字の端々に無理を承知で筆をとった筆跡が見え隠れしている。
私が今こうして医師としてこの町で仕事ができるのはすべからくこの人のおかげなのだが、
師匠の元を離れてからはもう十年近く経っている。
そう考えればもう年なのだろう。あまり無茶はしないでほしいものだ。
そんなこともあって手紙の内容に願い立てされた通り、私は師匠が療養中の間隣の村で代理の医師を務めることになった。
だが隣の村は遠いことこの上ない。具体的に言うと峠を一つ越えたその先に村がある。
おまけにこの手紙が来たのは夜分、それも酒盛りが終わった後友人がいきなり「すまん忘れてた。」の一言でいきなり手渡したものだ。
おかげで私は酔いがすっかり冷め、顔を青くしながら夜分にもかかわらず提灯片手に支度をするのだった。
峠は片道で約六時間。到着は明日になりそうだ。
――――――――。
峠に入りほどなく歩く。
時刻は既に丑三つ時。月は出ないが風はある。
がさがさと時折聞こえる生き物の息遣いだけが私を恐怖に駆り立てる。
「はあ…やはり降ってきたか。」
しばらく峠を歩いていると雨が降ってきた。
悪天候には気を使ってる余裕がなかった。
だがお天道様にはそんなものは通用しない。
足元が濡れ、胴体が濡れ、しまいには暴風まで吹き荒れる始末だった。
「あれは…小屋か…。仕方ないあそこでやり過ごすか。」
師匠には悪いと思ったが、これ以上歩みを進めるのは危険だ。
この辺りは雨が降るとぬかるみで悪路が続く。
暴風の風向きと合わさって滑落死をする事故も後を絶たない人食い峠とも言われるほどだ。
その中で今の私にあの小屋はありがたい。
ボロボロで風が吹くだけで軋んでしまいそうな小屋でも雨風が凌げる屋根と壁があれば上等。
たとえネズミが巣食うあばら家であっても文句なしであった。
誘われるように私はそのネズミしかいないであろう小屋に入って行った。
「ふう…なんだこれは…椅子?もしかして茶屋か?」
戸をあけてみればそこには長椅子が二台ほど。
奥には台所だったらしき場所と一人で使うには多すぎる数の囲炉裏があった。
さしずめ店じまいした茶屋といった具合だろう。
人通りが全くないわけではないが、危険の方が多いこの峠での営業を考えると廃業も必然か。
だがそれはそれで好都合。
元が茶屋ならかまどもあれば囲炉裏もある。おまけに薪まで。暖が取れそうだ。
「…これは…良いものを見つけた。」
だがそれ以上に今の私にぴったりなものを見つけた。
傘だ。傘が置いてある。
私は入口のすぐそばに置いてあった傘に目を付けた。
大きさ的には人が持つような傘の大きさではない。
ぱっと見た感じでは何かと思ったが大きさ的に日差しを避けるために使ういわば日傘だろうか。
通常使うものよりも大きく、柄が長い。傘に店の名前が書いてあるところを見るとそうかもしれない。
長椅子と一緒に外に立てかけるもので本来人が持って使うものではないが、暴風が止めば使えるだろう。
「ふむ…ほこりを落とせば使えそうだな。よっと。」
提灯を側にあった金具にぶら下げ暗がりに灯りを保つ。
程よく部屋が明るくなるとようやく安堵のため息が出た。
茶屋の残り物であるだろう壁にぶら下がっていたはたきを掴み、傘をたたき始める。
やはりというか埃っぽい。だが外ではたくわけにもいかない。
汚れるのを覚悟で膝の上に乗せると大柄な傘にはたきを掛けた。
「ちょ…ちょっと!」
「……。」
声がした。私のではない。か細い女の声だ。
私は背筋が凍った。
同じく雨宿りをしたい者の声だろうか。
はたきの手を止めて息を飲む。
「だれか…いるのか!?」
………。
返事はない。気味が悪い。
ひくついた笑みを浮かべながらもう一度はたきでたたき始めると…
「こ…こらっ!やめて!」
「ま、まただ…!」
膝の上に乗せている「物」から声が発せられる。
これは…傘だ。傘から声が出ているとしか思えない。
「こらー!ほこりとってくれるのはありがたいけどさっきから痛いんじゃー!」
「おあーっ!?」
驚きの余りに私は大声を出しながら椅子から飛びあがった。
傘はというと宙返りをしながら私の膝から飛び降り、突如として傘がバサッと開く。
余りの奇想天外な動きにわが身を凍らせた。
「まったく…ひさしぶりに使ってもらえると思って楽しみにしてたのに!もー!」
人だ。あれは人影だ。紛れもなく人だ。何が何だかわか
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