前編  再会

 商人の朝は早い。開店の準備で人影多い市場は活気はあれど賑わっている、と表現するにはいささか言が過ぎるだろう。商人たちはそれぞれの目的のために黙々と働いている。そこには客へのおべっかやおだて、のようなリップサービスは微塵もなく、短い指示とそれに応える無言の行動があるのみである。
 こうして準備され、市場が開かれるとどこからともなく、客はやってくる。商品の卸売りを担当する業者や、気合の入った小売店の店長たちが目をこらして、その日の目玉をその目で買い付けて行く。こうなってくると市場は開店準備の時と違って賑わいが出て来る。
 商人たちの格好は一見まちまちだが、必ず台帳を形態している。大抵は腰につけているが、上着のポケットだったり、シャツの胸ポケットなどに入れている者もいる。彼らは一様に目を店の商品に向けながら、休まずに台帳の上にペンを走らせている。
 市場の主役は売り買いを行う商人達だが、そんな早朝の市場にずいぶんと場違いな人物が現れた。
 黒いローブを身にまとい、修道士のような格好をした女が現れたのである。ほとんどの体の部分はローブに隠れて見えないが、唯一見える顔の一部は異様に白い。白雪に見紛う肌を持つ女は、商品の売買で大声飛び交う市場に足を踏み入れ、するすると進んでいく。商人たちは自分たちの商売に忙しく女が自分たちの傍に来ても少し怪訝な顔をするだけで、特に気に留めなかった。
 女はそのまま市場を通り抜け、町の奥へと進んでいった。



 市場の管理を行うのは商工会議所という部署である。商工会議所は商人たちの商売を支える役割を担うが、一方商人たちの暴走に目を光らせる部署でもある。市場の奥に建つ煤けた建物の一階に、この町の商工会議所があった。
 一階に窓が無いので、極端に薄暗い会議所は常にランプの光が満ちていた。フロアの奥に入口と奥の部分をくぎる様に衝立が置かれており、そこに一人の男が座っていた。
 男は老人と言っていい年頃だ。白髪混じりの髪と皺のきざまれた顔を嬉しくも悲しくもない、といった表情で固めて黙々と手を動かしていた。
 老人はこの商工会議所に勤める男で勘定役に従事していた。商工会議所に集まる金の貸借や損益、流れ等を押さえて不透明な資金運用を排除するのが彼の役目である。老人の筋張った手はよどみなく紙幣と硬貨を数え、それを記入することに徹していた。老人が無言で行う作業以外にこの部屋に音はなく、それはすぐ外の市場の活気とは余りにも差があり過ぎるものであった。
 だが、静寂は突如として破られた。
 扉が勢いよく開き、どかどかと足音高く何者かが入って来る。
「爺さん! 爺さん! おい、爺さん! 生きてるか! 干からびてくたばっていなかったか!」
入って来たのは茶色い髪をした青年で、随分と口の悪い第一声だが、それとは対象的に人懐っこそうな顔立ちをした男であった。
「やかましいぞ、アレックス。そうがなりたてなくとも、聞こえている」
 老人は数えている貨幣から目をそらさず、答えた。老人の声はしわがれてはいたが、よく通る声だった。
「お、爺さん。くたばっていなかったようだな。外に滅多に出てこないもんだから、もしかしたら数えている金に埋もれて死んでいるのかと思っちまったよ」
「朝っぱらからペラペラとよく回る舌を持っていることだ。寒くて敵わんから、早く戸を閉めてくれ。ところで、アレはどうした?」
老人が手を差し出すと、アレックスは待ってました、と言わんばかりにその手に紙の束を置いた。手渡した後、次の小言が飛んでくる前に後ろ手で戸を閉めて、呆れたように言った。
「まったく、唯一の趣味が新聞の購読なんだから、陰気さに拍車をかけるんだよなぁ。ちったぁ、外に出て仕事相手の顔とか商品とか見たらどうなんだい?」
 老人はアレックスの言葉を無視して、勘定していた手を止めて、新聞を広げ記事を一読する。その様子を横目で見ながら、アレックスはふと、思ったことを老人に尋ねた。
「そういや、爺さんっていつからここにいるんだけっか?」
「なんだ、藪から棒に。そんなことを知ってどうする」
 目線は外さず、紙の壁を挟んで二人は言葉を交わす。
「いや、そう言えばいつからいたっけかな、と思ってさ。オレがガキの頃からもうその椅子に座って、ずーっと金を数えていた記憶があるんだよね。つーことはだ、爺さんは20年ぐらい前からここにいるってことだよな」
「ほー、もうそんなに経つか」
「20年も同じ仕事していて、飽きないのかい?」
「飽きないな。している作業は変わらないかもしれんが、内容は一日たりとも同じものはないからな」
「ふ〜ん、勘定方ってそんな仕事なのか……オレさ、商人目指しているってことは爺さんも知ってんじゃん」
「そうだったのか。毎日遊び歩いているもんだとばかりに思っていたが」

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