魔術師という生業に就く者は、時に深い失望に襲われる。
なまじ魔法によって他人に出来ないことが出来るばかりに、己の力量を超えた事態を前にして打ちのめされるのだ。
正に息絶える寸前の愛犬を前に、僕は天を仰いだ。自分に叶う限りの手立ては尽くした。
回復魔法、ポーション、祈祷。だが、もう限界だ。寿命には逆らいきれない。
命そのものを贖う術もあるとは聞く。しかし、独り立ちしたばかりの駆け出し魔術師には
到底、無理な相談だ。
「モノ・・・・・・」
目を開けずゆっくり呼吸する彼を撫でる。羊飼いの相棒として名高い犬種のモノトーンの毛皮は、老いのためにバサバサになっていた。
親が仔犬を連れて来たのは4,5歳のころだった。以来十数年、兄弟のように育った。人懐こい弟のようなモノ。しかし、自分が魔法の修練を行っていた数年は、犬にとっては長すぎたのだ。こんな時、獣でありながら途方もない生命力を持つという魔界獣が羨ましくなる。
-------魔界獣。ぼやけた頭にアイデアが生まれた。急いで薬棚に向かい、目当ての小瓶を手に取る。それはしばらく前、東方から来たという狸の獣人から買ったものだった。魔界のブドウ酒、と商人は言っていたように記憶している。曰く、一瓶でも数年分の稼ぎを飛ばすほどのとびきりの上物らしいが、特別に量り売りに応じるとのことだった。(それでも、大枚はたいて買えたのは大匙一杯にも満たなかったが、貴重な魔界の産物の魅力には敵わなかった)
月明かりに透かした瓶の中身は、禍々しいほどの魔力を帯びていた。人間の魔術師からしてみれば、これを口にするなど狂気の沙汰である。魔界ではこれが飲料だというのだから、まったく人智を超えている。
しかし僕は、これからその狂気の沙汰に手を染める。これを薬として投与すれば、モノを「魔界獣のようなもの」に出来るかもしれない。上手くいけば、今より遥かに強い生命を得られるはずだ。しかし失敗したら…その時にはモノの命は尽きるだろう。
モノの前に戻ると、俄かに躊躇いが首をもたげた。僕は目を閉じる。脳裏に、モノと過ごした日々が去来した。いつだって賢く、遊び好きのモノ。失いたくない兄弟。
「モノ、僕は最後の賭けをやってみるよ。力を貸してくれ。」
全ての処置を終え、モノの横に寝そべった。ひとまず経過を見る。
5分・・・・変化なし。
30分・・・変化なし。
1時間・・・変化なし。
成功か失敗か、煮え切らない時間が続く。ただ、相変わらずゆっくりと呼吸をしているだけだ。どうか、どうか。祈りながら夜は更けた。
「おーい、にいちゃん、起きてよーっ!」
跳ね起きる。見れば、辺りはもう明るい。あろうことか、居眠りに落ちてしまったのだ。しまった、モノは、どうなった!?
「にいちゃん、こっち。」
頭上から声が降る。背筋に緊張が走り、反射的に見上げる。いったい誰だ?
「おはよ、いい朝だね。」
怒鳴りつけようとした声が引っ込んだ。僕の前に立っているのは、・・・人間ではない。
白い毛皮に薄く覆われた体。黒い髪。頭上に動く耳。
これは「獣人」だ。なぜ、そんな奴がにっこり笑って僕の前に立っている?
「お前は・・・一体・・・?」
喉からはかすれた声しか出なかった。
「えーっ、分かんない?ひどいや。ボクだよ、ボク。モノだよっ」
獣人は、馴れ馴れしい口調で僕の愛犬を自称した。余りにも突飛な言い分だ。しかし、その様子は自然なものでもあった。
「昨日さ、ボクに何かお薬くれたでしょ、そしたらさ、だんだん気分が良くなってさ、気が付いたらこんな風になってたんだ。」
二の句を継ぎかねている僕に、興奮気味に話す獣人。
--------お薬。まさか。
魔術師の直感が一つの答えを導いた。モノは、「魔界獣のようなもの」ではなく、「魔物」になってしまったのではあるまいか。
「にいちゃんはすごいねぇ。ボクもう死ぬんだと思ってたよ。」
両手を頬に当て、うっとりと言う。
いや、しかし。
「ちょっと待て。モノは・・・オスだったはずだぞ!?」
くびれた腰。毛皮の上からでもそれと分かる胸のふくらみ。どう見ても獣人の姿は女性だった。
「ねーっ、びっくりだよね。チンチンも無くなっちゃってさ、股のあたりがスースーするんだ。」
賭けはどうやら、あらぬ方向に事態を動かしたらしい。
それから数日、僕は資料集めに没頭した。母校の先生に問い合わせたいのは山々だったが、魔物を生み出してしまった事が人に知れるのはあらぬ誤解を生みかねない。全て、一人でやらねばならなかった。
その結果。モノはどうやら、「クー・シー」という魔物に変容した可能性が最も高いと考えられることが分かった。猫が変化する「ケット・シー」と対のような感じだろう。性転換の件については残念ながら確たる事は分からなかったが、現在の魔物は全て女性
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