聖騎士と悪魔

 男は、牢の床に倒れていた。体のいたるところが、血と糞尿で汚れていた。牢の中は、悪臭が立ち込めていた。
 男の姿を見て、男がどういう地位にあるかわかる者は少ないだろう。それだけ汚れていた。男は、聖騎士と呼ばれる地位にいた。
 男は、聖騎士であるがゆえに拷問を受けた。骨が見えるまで鞭打たれた。生皮を剥がれ、剥がれた所を火で炙られた。
 男は、頑健な肉体を持っていた。聖騎士として、強い誇りもあった。それらは拷問で打ち砕かれた。
 男は、異端審問官の誘導するままに自白した。神を罵った事、悪魔を崇拝したこと、男色を行ったことなどを白状した。もちろん男はそのような事はしていない。男が憎悪していたことだ。拷問によって認めさせられた。
 異端審問官は、冷笑しながら男の自白を聞いていた。自白の記録が終わると、男をこの牢に投げこんだ。
 男は、それ以来この牢の床に伏したままだ。汚物を入れる壷まで行くこともできず、糞尿を垂れ流していた。

 牢の中に異変が起こった。壁の一角がぼやけた。そこから一人の少女が現れた。
 少女の頭には山羊の角がついていた。手足は獣のような毛で覆われていた。
 少女は、悪臭を立てる男の前にしゃがみこんだ。少女は、男の体に手をかざした。男の体は、紫色の靄のような物に包まれた。
 男は、うめき声を上げながら顔を上げた。少女の顔を見上げた。
 「これで少しは楽になったはずだ。話くらいは出来るだろう」
 少女は、落ち着いた声で言った。
 「わしの名はバフォメット。お前達があがめていることにされた悪魔だ」
 男は笑った。自嘲するかのような笑いだ。
 「お前の名を聞いてよいか?」
 バフォメットは、笑いを気にした様子も見せずに聞いた。
 「ロベール・モンターギュ」
 吐くような聞き取りづらい返事だ。
 バフォメットは満足そうにうなずいた。
 「ロベールよ、ここから助けてやってもよいぞ。治療もしてやろう。人間の医術では無理でも、わしなら治す事も出来る」
 バフォメットは一息つき、微笑を浮かべながら言った。
 「ただし、わしに仕えることが条件だ。悪魔であるわしに仕えるのだ。どうする?」
 バフォメットは、張り付いたような笑いを浮かべながら言った。
 ロベールはうめき声を上げた。少しの間、何も音を立てなかった。やがてくぐもった笑い声を上げながら言った。
 「お前に仕える。バフォメットよ、俺を好きなようにしろ。魂をくれてやってもいい」
 ロベールは、低く嗤いながら言った。
 バフォメットは、笑いを消した。静かにロベールを見下ろした。平板な声で答えた。
 「よかろう、お前を救ってやろう。これは悪魔の契約だ。それを忘れるな」
 バフォメットとロベールの体が揺らぎ、朧げな姿となった。二人の姿は、牢から消えた。

 気がつくと、ロベールはベットの上にいた。牢の中ではない。
 瀟洒な装飾が施された部屋だった。白い壁に色鮮やかなタペストリーが飾っていた。棚の上に置かれた物は、燭台を始め皆繊細な造りのものだ。ベッドや枕は柔らかい物であり、それらは絹で覆われていた。ベッドの上には上質な毛皮がかかっていた。
 ロベールは、自分を責め苛んでいた激痛が抑えられていることに気づいた。体の所々が疼く程度である。ゆっくりと体を動かしてみると、覚悟していた激しい痛みは無かった。
 バフォメットの治療が施されたわけか。ロベールは笑った。ありがたいものだ。悪魔と契約した甲斐があった。
 体を調べてみると所々塗り薬が塗られ、布で覆われていた。汚れきっていた体も、清められていた。
 バフォメットが、人間をしのぐ医術を持っていることは確かだ。人間の医術では、これほどまで痛みが押さえられるわけが無い。
 ロベールが自分の体を調べていると、一人の女が入ってきた。
 裾の長い黒い服をまとい、黒のフードをかぶっていた。不自然なほど青白い顔をした、若い女だ。
 「薬を塗りなおし、布を替えます」
 感情の欠落した声で言うと、ロベールの返事を待たずに作業を開始した。作業は、まったく無機的に行われた。丁寧だが、感情の窺がえない手並みだ。眉ひと筋動かさず、ロベールの下腹部を露出させて治療を行った。
 治療が終わると、何も言わず一礼して出て行った。
 「あれが魔女というやつか?」
 ロベールは、苦笑しながらつぶやいた。

 バフォメットが、ロベールのもとに来たのはそれから7日後だ。魔女は1日1回薬を塗り、布を替える。そこから日にちを計算した。
 バフォメットは、楽しげに言った。
 「体の調子は良くなったようだな。手術後の経過は良いと、報告を受けている」
 ロベールは、皮肉っぽい調子で答えた。
 「おかげさまで体の具合は良い。今日来たのは、お前に服従することを確認に来たのか?」
 バフォメットは苦笑し
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