終わりなき日々

 彼は独りで世界にいた。人はおびただしいほどいる。だが、それらの人々は影に過ぎない。皆、彼をすり抜けていく。
 いや、影であるのは彼のほうだ。人々にとっては、彼は存在しない。
 薄明りに照らされた世界で、彼は独りで歩き続けた。

「いつまで寝ているつもりだ、起きろ!」
 バルドゥールは、自分を叱責する女の声で目覚めた。目を開くと、豊かな金髪をたなびかせている女が見下ろしている。女の背には白く輝く翼が広がっている。バルドゥールは、頭を振って意識をはっきりさせて女を見る。彼女は、自分を指導する天界の戦士ヴァルキリーだ。
 すでに夜は明けていて、日差しが辺りを照らしていた。深緑色の草の葉が日に輝いている。バルドゥールは、マントにくるまっている身を起こした。横たわっていた所の草の匂いが鼻をくすぐる。
「さっさと顔を洗え。食事を済ませたら剣術の訓練だ」
 天界の戦士は、凛とした声でバルドゥールに命じる。
 妙な夢を見たな。目覚めが良くないぞ。バルドゥールは再度頭を振る。
「シグルーン、もう少し色気のある起こしかたをしてくれよ」
 バルドゥールは、ふざける事で夢を追い払おうとする。彼は、シグルーンと言う名の天界の戦士の体を見る。引き締まった体だが、豊かな胸をしていた。服の裾から見える白い足は、健康的な魅力がある。バルドゥールの腰に力が入り始める。
「元気があるようだな。訓練の量を増やすぞ」
 それはねえよ、とバルドゥールは呻き、清水の湧いた岩陰に歩いて行った。

 バルドゥールは、主神教団に所属する聖騎士だ。元は、反魔物国に所属する平凡な騎士だったが、天界の戦士であるシグルーンに見出される事により聖騎士となった。現在は、シグルーンの指導の下、騎士修行の旅を続けている。

 二人の騎士が草原を駆けていた。互いに剣を抜き、激しく打ち合わせている。黒馬に乗った男の騎士が攻め、白馬に乗った女騎士が受けている。馬が草を激しく蹴り上げ、剣戟の音が朝の空気の中に響き渡る。
「体の重心をずらすな!腕に力を入れすぎだ!」
 女騎士は男の騎士を叱責する。男の騎士は手綱を握りながら体勢を直し、力の入りすぎた腕の力を少し抜く。そして再び女騎士に斬りかかる。
 バルドゥールは、全身を歓喜で震わせていた。こうして訓練をしていると、鍛えられた体が躍動する。訓練によって自分の力が増してきていることを実感できる。それは官能的でさえあるのだ。
 バルドゥールは、シグルーンの姿に見惚れる。健康的で若々しい女体が、全身から力を発散していた。それでいて動きは優雅ですらある。兜で抑えられた金髪が光の中で輝き、引き締まった麗貌を引き立てる。バルドゥールは、自分の体の躍動感とシグルーンの生命の輝きに性の欲望を掻き立てられる。
 バルドゥールの視界の左に赤茶色の物が入った。それはバルドゥール達の方へ向かってくる。バルドゥールはシグルーンから剣を引き、赤茶色の物の方へ顔を向ける。それは大柄な牛だ。正気を失った者の様に突き進んでくる。
 バルドゥールは、シグルーンと素早く視線を交わす。二人は頷き、馬首を暴れ牛に向けて駆けだす。暴れ牛は、土を草ごと蹴立てながらバルドゥールへ突き進んでくる。牛の角は所々が黒ずんでおり、その汚い角をバルドゥールへ向けて突き進めて来る。
 全身から怒気を放つ牛を、バルドゥールは右へかわす。すれ違いざまに、剣の平を牛の後頭部へ叩きこむ。重い衝撃音と共に、バルドゥールの腕に確かな手ごたえが伝わる。牛は、口から涎を振りまきながら頭を振る。
 牛は、再びバルドゥールへ突き進んでくる。バルドゥールも馬首を変え、牛へと突き進む。牛と馬は、地を蹴る音を響かせながら草を踏み散らす。黒ずんだ角が突き進んでくる。バルドゥールは牛をかわし、後頭部へ剣の平を叩きこむ。衝撃音と共に牛の口から涎がはじけ飛ぶ。
 牛はふらつき、動きが鈍くなる。バルドゥールは馬首をめぐらし、元来た方へ駆ける。牛と並走し、牛の後頭部へ繰り返し剣の平を叩きこむ。そのたびに牛の口から涎が弾ける。牛は、頭を振りながら地面へ倒れ込んだ。
 バルドゥールは、牛の様子をじっとうかがう。牛は反撃する様子は無い。白目をむいて涎を垂らしている。
「よくやった。訓練の成果は出ている」
 シグルーンは、バルドゥールへ声をかける。シグルーンは、バルドゥールに並走していた。バルドゥールが危なくなればいつでも加勢出来る様に構えていたのだ。
 バルドゥールは、体の奥からこみあげてくるものに身を任せていた。熱量と力がこみ上げてくる。官能の渦が腰から広がって来る。力が弾けそうな自分の体、自分の汗の感触、牛の体から伝わってきた衝撃、草と牛の匂い、それらは欲情をかき立てる。
 不意に冷めた感触がバルドゥールを襲った。自分の存在が希薄であるような感覚がバ
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