頑丈な石造りの城壁が、午後の日差しの中で輝いていた。空は晴れ渡り、静かな風が吹いている。本来ならば牧歌的な光景となるはずだ。
だが辺りには、殺戮の予感を孕む緊張感が漂っている。城壁の周りを大軍が包囲していた。兵達は槍を持ち、鉄砲や機械仕掛けの弓であるクロスボウを城壁に向けている。兵の間には、黒々とした大砲もある。城壁の上には、包囲軍を迎え撃つ軍が待ち構えていた。銃眼からは鉄砲やクロスボウが覗き、城壁の上には大砲が設置されている。
城壁は責めにくい造りであり、包囲軍にとっては脅威だ。だが、包囲軍の士気は高い。ぎらついた目を城壁に突き立て、突撃の合図を歓喜の震えと共に待っている。包囲軍の兵士は、修道士の様な黒服を着て赤いマントを羽織った者達に指揮されていた。指揮者達の黒服の胸には、金色の糸で聖具の形に縫い取りがある。赤いマントにも、聖具の形の金色の縫い取りがある。
彼らの中心には、指導者である女戦士が屹立していた。金で縁取りされた青い鎧をまとい、銀色に輝く剣を掲げている。黄金色の髪は日の光に輝き、背には純白の翼を広げている。人間離れした白い美貌を城壁に向け、青氷色の眼を突き立てている。女は人間では無い。神の戦士であるヴァルキリーだ。
傍らで、黒服に赤いマントの男が控えていた。無個性な顔は無表情だが、眼には狂おしい熱が宿っている。男は、城壁と包囲軍、そしてヴァルキリーを見渡している。
やっと、ここまで来た。長年這い蹲り続けて、ようやくここまで来た。俺の宿願が達せられる時が来た。
男は目から狂熱を放ち、歓喜に打ち震える。男が長年夢見て来た復讐をする機会を手に入れたからだ。男は、血の川が流れる城塞都市の姿を思い浮かべて恍惚とする。
さあ、殺戮の時が来た!
アヒムは、貧しい農家の生まれだ。父と母と共に、痩せた畑を耕して生きて来た。農奴では無かったが、苦しい生活をしている事は変わらない。領主や主神教団は、アヒム達から容赦なく税を取り立てた。アヒムは、領主の部下や教団の取立人の前に這い蹲り続けた。
その貧しく惨めな生活も壊された。戦争がはじまり、別の領地の領主の軍が攻めて来たのだ。アヒムの村は蹂躙され、虐殺、凌辱、略奪が荒れ狂った。アヒムの父は槍で刺され、母は馬蹄に頭を砕かれた。
死の間際に、父はアヒムの人生を決定する話をした。アヒムは、父と母の子では無い。父母は、川上から小船に乗って流れて来た赤ん坊を拾って育てたのだと。その時、赤ん坊の側に指輪が置いてあったそうだ。父は、血で濡れた手で指輪をアヒムに渡すと、力尽きて死んだ。
その指輪は金製であり、紅玉がはめてあった。良く見ると紋章の様な物が彫られている。アヒムは指輪を受け取ると、血に飢えた敵兵達の間を掻い潜り、村から脱出しようとする。荷車や樽、柵の陰に隠れ、麦畑に這い蹲りながら逃げた。幸い、敵兵はこの土地に疎いらしく、アヒムは逃げ延びる事が出来た。
自分の出生は気になったが、それよりも自分の生活をしなくてはならなかった。戦火に焼け出されたアヒムは、職を求めて各地を放浪したが、ろくな職を得られなかった。農家で生まれ育ったのだから農業は出来るが、得られる仕事は領主の畑で下働きをする事くらいだ。農奴とどちらがマシか分からない。手に職を身に付けている訳でもない為、町に行っても大した仕事は得られない。荷担ぎ人足や工事現場の下働き、商店の使い走り、清掃夫くらいだ。生きるギリギリの収入しか得られない。
アヒムは貧しい生活を憎み、そこから這い上がろうとした。ちょうどそのころ、アヒムの住む国の各地では戦乱が起こっていた。国を支配する皇帝の権威の低下、諸侯同士の勢力争い、主神教徒同士の路線闘争などによって戦争が起こっていたのだ。そこへ外国や主神教団の介入が有り、戦乱に拍車がかかる。アヒムは戦乱に乗じて傭兵となった。
傭兵生活も、アヒムにとっては苦しいものだった。兵士としての経験は全くなく、本来ならば傭兵団に雇われるはずはない。だが、戦争で人手不足で苦しんでいる傭兵団があった為に、アヒムは傭兵になる事が出来た。アヒムは、基本的な訓練を暴力と共に叩き込まれる。そして兵士として出来上がってない内に最前線へ投入された。その後は、死と隣り合わせの毎日を送る羽目となったのだ。
苦しい日々の中で、アヒムは自分の出生の事を妄想して慰めた。俺は、何処かの名家の血を引いているのだ。指輪に刻まれた紋章は、名家の物だ。俺には、富と権力を受け継ぐ資格があるのだ。そう妄想する事で自分を慰めた。
下らない妄想である事は、アヒム自身が分かっていた。だが、苦しい日々の中では、妄想で自分を支えるしかない。金も権力も能力も無いアヒムには、妄想ぐらいしか自分を支えるものは無かった。
アヒムは、気が付いてなかった。
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