男は、月明かりの下で走り続けた。男が走っているのは森の中であり、朧な月明かりでは走ると危ない。だが、グズグズしていると男は嬲り殺しにされる。男は、小刀を握り締めながら走り続けた。
月明かりの下に、男の体が薄っすらと浮かび上がる。男の体には、所々黒い染みの様な物が有る。明るければ血による染みだと分かるだろう。男の体からは、血独特の臭いが漂っている。
男は、微かな月の光の下で笑った。男は、心の底からの笑い声を上げた。彼は、生まれてから今ほどうれしい事は無いのだ。自分を虐げた者を殺し、自分を縛り付けた場所から逃げて来たのだから。血の感触と臭いは、男に快楽を与えているのだ。
男は、血の臭いをまき散らしながら笑い続けた。
アパラージタは、生まれた時から奴隷だ。母が奴隷である為、アパラージタもまた奴隷なのだ。アパラージタの国では、奴隷から生まれた者は生涯奴隷である。その子孫達も未来永劫奴隷なのだ。
アパラージタは、生まれた時から虐げられてきた。生みの母ですら彼を嫌った。凌辱の結果生まれた子なのだから、当たり前かもしれない。アパラージタは、嫌悪と憎悪、暴力の中で育った。アパラージタの体は、こん棒や鞭で殴られた痕、犬にかまれた痕、火傷の跡が数えきれないほど付いている。
アパラージタにとっての支えも憎悪と暴力だ。奴隷である彼は、それ以外のものを手にする事は出来なかった。自分を虐げる者達、自分を虐げる世界を破壊する妄想だけを支えに生きて来た。
だが、それも限界を迎えた。奴隷に対する虐待は激しさを増し、奴隷の中でも弱い立場にあるアパラージタには死の影が付きまとい始める。アパラージタよりマシな立場の奴隷達は、もうすぐお前は死ぬと嘲り笑った。
俺は殺される。だったら、俺を虐げる奴らを殺すしかない。アパラージタは、盗んだ小刀を手に思い詰めていた。
だが奴隷が反抗すれば、待ち受けるのは嬲り殺しにされる結末だ。暴力を叩き付けられてきた為に、アパラージタは怯えていた。我慢しておとなしくすれば、生き延びる事が出来るのではないかと考える。
アパラージタは自分を笑った。どうせ死んだ方がマシな人生だ。だったら、憎い奴を殺して死のう。俺は憎しみを支えに生きて来た。糞どもを殺してさっさと死のう。
アパラージタは、隠し持っている小刀を手に笑った。
アパラージタを支配している貴族の家で宴があった。王から恩賞を貰った事を祝うためだ。貴族の家は浮かれ騒ぎ、酔い痴れた者で溢れた。
アパラージタを虐げて来た奴隷の監督官もその一人だ。散々酒を飲んだ監督官は、奴隷小屋の近くをふらつきながら歩いていた。この監督官は、こん棒や鞭で奴隷を殴る事が飯以上に好きな男だ。加えて、奴隷を火で炙る事に快楽を感じる男でもある。アパラージタの股間と尻には、この監督官に炙られた痕がある。
アパラージタは音を立てないように後ろから忍び寄り、監督官に飛びつく。監督官が声を上げる前に喉を小刀で掻き切る。濁った音と共に、監督官の喉と口からおびただしいほどの血があふれる。血の臭いがふりまかれ、アパラージタを興奮させた。アパラージタは、執拗に喉を切り裂き続ける。血が吹き出し、アパラージタの体を汚す。
アパラージタが手を離すと、監督官は木偶のように倒れた。雲間から出た月の光が、二人を照らし出す。血で汚れた男二人が、月明かりの下で輝く。月明かりと血の感触、臭いは、アパラージタを酔い痴れさせる。
だが、恐怖がアパラージタを我に返らせた。早く逃げないと、自分は嬲り殺しにされる。アパラージタは、両手両足を切断されて芋虫のように蠢きながら死んでいった奴隷を思い出す。アパラージタは、館の塀に向かって走る。塀の一カ所に抜けやすい所が有る。そこへ向って走った。
塀の前まで来ると、建物の陰に隠れる。見回りの者がふらつきながら歩いている。彼も酔っぱらっていた。アパラージタの体には、この男がけしかけた犬にかまれた痕が残っている。アパラージタは建物の影から飛び出し、男の腹に小刀を突き出しながら飛び込む。不明瞭な声を上げる男の腹を、繰り返し抉る。小刀を抜くと、血と臓物が溢れ出して地面を汚した。
アパラージタは塀をよじ登り、向こう側へと飛び降りる。凶行を眺めていた月は隠れ、闇の中をアパラージタは逃げ出した。
アパラージタは、麦畑を抜けると森に逃げ込んだ。夜の森は危険だが、追手のかがり火が後ろに迫っている。追手が連れている犬の鳴き声もする。宴があった為に逃げる事が出来たが、それでも追っ手を撒く事は出来ない。やむを得ずに森に逃げ込んだのだ。
再び月が出始めたが、それでも夜の森は危険だ。アパラージタは、木の枝や鋭い草により体中に傷が付いていく。石や窪みにつまずき、体を地面に叩き付けられる。それでも走り続けなけ
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