日出処の馬鹿と日没処の人熊猫

 目の前に大宮殿がそびえ立っていた。朱塗りの柱と白壁、瑠璃色の屋根瓦がまぶしく輝いている。圧倒的な質量を持つ建物であり、大陸を支配する帝国の皇帝が住む所にふさわしい建物だ。
 伊模子は恐れ戦いた。彼の祖国の女王が住む宮殿など、この大宮殿に比べたら掘っ立て小屋だ。この大宮殿を立てるだけの富と力を持つ国と、彼は交渉しなくてはならないのだ。これから、大陸の支配者である皇帝と会わなくてはならないのだ。
 彼は目が眩みそうになるのを必死にこらえると、他の使節の者と共に宮殿へ向って歩き出した。

 伊模子がいるのは、西の大陸の者達から霧の大陸と言われる所を支配する帝国の皇帝の宮殿だ。伊模子の祖国は、霧の大陸の東海に浮かぶ島国だ。伊模子は、祖国と大陸と国交を結ぶために派遣された。大陸は伊模子の祖国よりも文化が進んでおり、その文化を島国の指導者たちは欲しがった。その為に、使節団を大陸に派遣したのだ。
 伊模子は、彼が携えて来た国書について控室で考えていた。そのとたんに胃が痛みだした。文面の中に、明らかにこれから会う皇帝を怒らせる記述があるのだ。彼を使わせた王子の人格を表す、傲慢な記述だ。とても平穏無事に済むとは思えない。
 伊模子は、国書をしたためた王子の事を思い出した。明らかに人格に問題がある、それどころか狂っているかもしれない王子だ。奇行を繰り返し、祖国でも腫物に触れる態度で扱われている王子だ。
 伊模子は、呻き声を上げながら王子について考える。女装するのは構わない、趣味は人それぞれだろう。男なのに男が好きなのも構わない、人の居ない所で好きにすればいいだろう。もっとも、大豪族の跡取りと関係が噂された時は焦ったが。頭のかわいそうな幼女を拉致監禁し、もてあそんだ時はさすがに慄然とした。いくら何でも人倫に反する。だが、見て見ぬふりさえすれば国事には関わらない事だ。あの王子がどれほど変態で、異常で、おまけに人格が破綻していても有能である事は間違いないのだ。我慢できる事だ。だが、今回は違う。
 あの王子は、大陸を支配する大帝国を挑発しようとしているのだ。まずい事に、王子は挑発しているとは思っていないだろう。あの狂人特有の傲慢さを持った王子は、当然の事を書いていると思っているのに違いない。
 伊模子は、呻き声を抑えられなかった。

 伊模子は、謁見の間で皇帝の前に跪いていた。豪奢と言う言葉が似合う謁見の間だ。朱塗りの柱は、龍や鳳凰の形の金細工で惜しみなく装飾してある。おびただしい数の金の燭台が広い室内を照らし、金の香炉から香煙が立ち上っている。この謁見の間に比べたら、伊模子の祖国にある女王の謁見の間は、平民の部屋に見えてくる。
 大陸の支配者である皇帝は、黒色の絹に金糸を刺繍し、紅玉や青玉を縫い込んだ服を着ていた。冠もまた金、紅玉、青玉で装飾されている。突き刺すような眼差しの目立つ、彫りの深い険しい顔立ちをしている男だ。その狷介な視線の前で、伊模子は震えそうになるのを堪えていた。
 皇帝は、伊模子が携えて来た国書を読んでいた。眉間にしわを寄せて、ただでさえ険しい顔立ちを凶暴なまでに狷介な表情にしている。皇帝は読み終わると、跪いている伊模子に視線を突き立てる。皇帝は、国書を伊模子に投げつけた。
「お前達は、余を舐めているようだな。良かろう、増上慢の報いを与えてやろう。余には百万の軍がおるのだ。お前達はその力を思い知る事となるのだ。下がれ!」
 皇帝の煮えたぎるような声と言葉に、伊模子は体を痙攣させた。自分は使節団の長であり、相手の皇帝に怯えを見せてはいけない事は分かっている。それでも痙攣を抑えられなかった。
 伊模子は全力で震えを抑えて、険しい顔を作って皇帝に礼をして下がった。

 宿舎に戻った伊模子は、頭を抱えながら震えていた。最悪の結果だ。これで我が国と大陸との間で戦争が始まる。相手は、大陸を支配する大帝国だ。我が国とは力が全く違うのだ。我が国はひねり潰される!
 第一、国書には皇帝が怒って当然の事が書いてあったのだ。「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」などと、あの変態王子は書いたのだ!帝国と皇帝に喧嘩を売っているのか?
 伊模子は、大陸に渡ってからの事を思い出した。広大と言う言葉がむなしくなるほど広い国土だ。その国土で、おびただしい数の人々が暮らしている。伊模子の祖国など、大陸の一地方よりも狭く人が少ないのだ。相手は、その大陸を支配する国なのだ。しかも、この国は大きいだけではない。伊模子の国とは段違いの富と文化を持つ国なのだ。帝都に来る道中で、そして帝都でその事を思い知らされた。戦って勝てる相手ではないのだ。
 大陸は三百年近くにわたって分裂し、激しい戦乱を繰り広げた。その大陸は、三十年近く前にようやく再統一を成し遂げた。このような経
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