雑然とした料理屋の中には、人々の猥雑な話し声が響いていた。商人や人足、小役人達が酒を飲みながら飯を食っている。酒や肉汁を口からこぼしながら、彼らは遠慮なく騒いでいた。
料理屋の隅では、三人の男が飯と酒を前に話をしていた。話している男は豚肉料理の喰らいながら酒を飲んでいるが、聞き手の二人の男は酒にも料理にも手を付けない。話し手を注視しながら聞いている。
「場所は分かった。だが見たのが二月前だと、今はいないかもしれない」
聞き手の男は、なまりのある話し方をした。
「そうでもないさ、一年前からその付近の者は見ている。大方、奴らの交易に使う道なのさ。火鼠と一緒にいた奴は、荷を積んだ牛を引いていた」
「また、通ると言うのか?」
「ああ、間違いなく通るね。俺は旅をしながら物を売るのが商売だ。同類の事は分かる」
人と魔物が同類なのか?と言いそうになったが、黙った。目の前の男は、火鼠を直接見た男だ。今まで火鼠の話をした者達は、皆また聞きだった。この話し手は、貴重な話し手なのだ。
話を聞き出すと、聞き手の男達は話し手の男に金を渡して料理屋から出た。今度こそは、火鼠を捕まえる事が出来るかもしれない。その為に、わざわざ大陸まで渡って来たのだ。火鼠を探索してもう三年になる。話を聞き出した男は、雑踏の中を歩きながら無言で呟く。
今度こそ火鼠を手に入れなくてはならない。私の転落のきっかけになった火鼠を。
かつて東にある島国の右大臣だった男は、暗い眼差しで前を見据えながら心の中で呟き続けた。
火鼠の目撃された場所は、都の西南にある山地だ。男は、そこへ行き探索するための準備を従者達と行う。地図を入手し、現地に詳しい者の話を聞く。これから冬になり厳しい寒さが予想されるために、厚い毛の服を用意する。靴も雪に備えた物とする。金は、都にいる祖国の者から用立ててもらっていた。
男は、八人いる従者達を見渡した。かつてこの大陸に船で渡って来た時は、十四人いた。自分を見捨てて逃げ出す者が出た為、八人しかいない。
男は、思わず自分の境遇を嗤う。見捨てられて当たり前だな、女にたぶらかされて失脚した挙句、有るか分からぬ火鼠の皮衣を求めて大陸まで来て三年も放浪するのだから。
男は、自分の転落の有様を思い出していた。
男は、西方に住む者から「霧の大陸」と呼ばれる所からさらに東の海にある島国の者だ。かつて男は、その島国の大官だった。国を二つに分ける大乱の際に、勝者の側に付く事により出世の道が開けた。彼は、帝から信任されて、国政を左右する右大臣の地位まで登る事が出来た。
重臣はおろか帝の一族までもが、彼に恭しい態度を取った。彼の一言で国政は動き、万の人間が駆けずり回る。彼は、大陸から渡った絹服を金銀の装身具と共にまとい、大陸の最新の流行を取り入れた豪邸で山海の珍味を食す日々を当たり前のものとして受け取った。一人の女にたぶらかされなければ、今もその生活を続けていただろう。
女は、ある成り上がり者の老人の養い子だ。天の者と噂されるほどの美貌を持ち、都の貴公子たちの羨望の的となった。彼らは、競い合ってその女を求めた。
男は、初めは笑ってまともに取り合わなかった。少しばかり顔の良い娘が、成り上がり者らしく豪勢に着飾っているだけ。そう笑っていた。だが、ある遊び人の手引きによりその女を盗み見て、男は考えを変えた。変えざるを得なかった。完全と言う言葉が合う冷ややかな美貌を持ち、涼しげな眼差しを辺りに注ぐ。漆黒の髪と玲瓏な美貌は、青白い月の光を思わせるものだ。これでは天の者と噂されるはずだと、納得せざるを得なかった。
男は、その女に求婚した。国を動かす権力を持つ自分の申し入れを断るはずがないと確信していたのだ。だがその女は、自分を手に入れたければ証を示してほしいと要求してきた。女の要求は、「火鼠の皮衣」を手に入れる事だ。
火鼠とは炎を纏う鼠の魔物であり、その毛皮は火にくべても燃えないと言われている。無茶としか言いようのない要求だ。火鼠とは大陸にいると言われる魔物であり、男の居る島国では存在しない。それどころか、大陸にも本当にいるか分からない存在だ。その皮衣をどの様にして手に入れる事が出来ると言うのだ?
だが、男は諦めなかった。右大臣たる自分ならば可能だと信じたのだ。様々な書を読んで火鼠の皮衣について調べ、莫大な財を投じて探索させた。何年もの年月を費やした後、大陸の商人からついに火鼠の皮衣を手に入れた。
喜び勇んだ男は、火鼠の皮衣を持って女の家に持って行った。それに対して女は、相変わらず冷ややかな態度を崩さなかった。女は無造作に皮衣を火に投じ、燃えないはずの皮衣は燃え上がった。この時の事を男は忘れる事が出来ない。愕然としてふらつきながら女の家を出る男の背に、女の涼
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