捨て駒の安息

 辺りにはのどかな田園風景が広がっていた。黄金色の麦畑が広がり、農民たちが刈り入れに精を出している。その麦畑の先に灰色の城がそびえている。
 城は見たところは何の変哲もない、ただの地方領主の城にしか見えない。城壁を行き来する兵の姿も穏やかな物腰だ。だが、この城の内実は帝国の重要な実験施設だ。
「潜入しにくいな。城からの見晴らしが良い」
「内部の防御もある。奇襲しにくい城だ」
 声は二か所から聞こえる。一つは荷馬車の御者から、もう一つは荷馬車の上の藁の中から聞こえる。
「簡単に見えて難しい、よくある話だ」
「荷馬車に紛れて城に潜り込むことは可能か?」
「ダメだ。城の中に入り込んでいる奴の話だと、外からの物資は厳しく検査するそうだ」
「農民や城の使用人に化ける事は?」
「一人一人が監視されているそうだ」
 御者は薄く笑う。
「つまり強襲するしかないわけだ」
「そう決めつけるのはまだ早い。調査は終わっていない」
「結論は出ていると思うが」
「お前は、殺す事しか頭にはないのか?」
 藁の中から押し殺した非難の言葉が放たれる。
「必要なら殺すだけだ」
 御者は、口の端を釣り上げて笑う。結論は出ている。城を強襲し、中にいる連中を殺して資料を奪う。それで終わりだ。御者は笑い続ける。
 殺戮への期待に震えながら、御者に扮している男は城を見据えていた。

 ヴァーツェルとキマイラは、帝国内にある施設の破壊を命じられた。二人は親魔物国軍の破壊工作員であり、主神教団や反魔物国の施設の破壊を任務とする。施設は帝国東南部にある城であり、そこでは人体実験が行われているという情報が入っていた。
 主神教団の一部や反魔物国の一部は、強靭な兵士を作るために人体実験を行っている。魔術や薬物投与、洗脳などによって魔物を初めとする敵に対抗するための兵を作り出す事が目的だ。
 親魔物国であるヴァーツェルの国にとっては、人体実験施設は破壊しなくてはならない物だ。ヴァーツェルとキマイラは、所属する軍の特務機関の命を受けて施設について調べ、施設のある帝国領に侵入した。現在、施設のすぐそばで襲撃のための準備を行っていた。

 二人は、夜になると農家の一つへと引き上げた。あらかじめ施設周辺の農家のいくつかを買収してある。そこを根拠地にして活動しているのだ。帝国領内の大半の農民は農奴であり、施設周辺で働く農民もほとんどが農奴だ。彼らは激しく収奪されており、飢えているため領主を憎んでいる。のどかな田園に見えても、よく観察すれば粗末な服を着て痩せこけた農奴が酷使されている事が分かる。彼らにいくらかの食糧を渡したら、ヴァーツェル達に協力してくれた。目の前に差し出された食料が、領主への恐怖に勝ったわけだ。
 ヴァーツェル達がいる家は、粗末な木造の建物だ。石造りの家は、裕福な者でなければ建てる事は出来ない。農奴の家は、隙間風が入る上に薪が乏しいために夜は冷える。二人は、あらかじめ用意してきた厚手の衣服に感謝しながら身を震わせた。
「あの施設が暴露されれば、帝国侵攻の口実に使われるな」
 イスメネは、薄笑いを浮かべながら言った。イスメネは、キマイラの四つの人格の一つだ。山羊の人格であり、知性に恵まれている。
「結構な事じゃないか。帝国が滅びれば喜ぶ奴は多い」
 ヴァーツェルの返答に、イスメネは薄く笑う。
 ヴァーツェルは、目の前のキマイラを見る。四つの存在が人間に混ざり合った姿だ。獅子、龍、山羊、蛇、これらの存在が若く美しい女性の体に合わさっていた。頭からは龍と山羊の角を生やし、獅子の耳が付いている。右肩には山羊の頭が付き、右手は山羊の獣毛に覆われている。左肩には龍の頭が付き、左手は爬虫類の鱗で覆われている。背には龍の翼が広がり、尾は蛇だ。足は獅子の毛で覆われている。これらが、人間の女性の麗貌と肉感的な肢体に混ざり合っているのだ。
 かつてキマイラは、魔物と人間双方の実験により殺戮兵器として作り出されていた。キマイラはおびただしい数の人間と魔物の犠牲を払って作り出され、大量の人間と魔物を殺戮してきた。新魔王の命により、キマイラを作り出すための実験は魔物側では禁じられた。だが、人間側はキマイラ製造を続けている。襲撃しようとしている施設は、キマイラ製造にも関わっているという情報が入っている。
「帝国はそう簡単に滅びはせんよ。帝国を舞台とした泥沼の戦いに、我が国が引きずり込まれるだけだ」
「大きいばかりで、分裂している上に腐っている帝国が?」
「分裂していても、帝国内には強力な勢力が存在する。それに周辺諸国も問題を抱えている所ばかりだ」
 諭すように言うイスメネを、ヴァーツェルは刺す様に見る。帝国を破滅のるつぼに叩き込みたいヴァーツェルにとっては、イスメネの意見は苛立ちを感じるものだ。
「王弟殿下
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