部屋の中には悪臭が充満している。汚物壷に入っている糞尿と、囚人達の体から放たれる汗と垢の臭いだ。部屋の中の囚人達は、既に嗅ぎなれた臭いだ。
囚人達は、悪臭よりも疲れを取る事のほうが気にかかる。今日も激しい労働を強要されたのだ。城造りのために駆り出され、鞭打たれながら働いたのだ。蚤と虱の巣になっている藁の上でも、寝なくてはならない。石の床の上で寝ようとしても、寝られるものではない。
つくづく糞みたいな人生だな、ジャンは心の中ではき捨てる。物乞いやコソ泥して食いつないできた挙句、監獄暮らしかよ。笑うしかねえ。
ジャンは、虱でいっぱいの髪を掻き毟った。指を見ると、血で染まったフケがびっしりこびりついている。
この先ろくな事は無いだろうな。監獄を出られても糞みたいな生き方しか出来ねえ。ジャンは、再び頭を掻き毟った。
ジャンは孤児であり、教会で育てられた。神父の紹介してくれた奉公先で働いていたが、揉め事に巻き込まれて逃げ出した。その後は軍に入った。戦争が迫っており、男なら誰でも兵隊として雇うといった状態だったのだ。ジャンは、いざ戦争になると怖気づいて軍から逃げ出した。
その後は、社会の下層をさ迷い歩く事になる。物乞い、コソ泥、詐欺、女衒、闇商人の使い走りなどをして生きて来た。
ジャンは、闇商人の所で働いていた時に、売り上げの金を盗んだ疑いをかけられた。私刑にかけられそうになり、ジャンは命からがら逃げ出す事になる。本当に金を盗んだのならば良かったが、盗んでなどいないジャンはパンを買う金すらなかった。結局ジャンは、ある商人の家に盗みに忍び込んだ。
そこでどじを踏み、家人に騒がれてほうほうの体で逃げ出した。逃げ出してすぐに自警団に遭遇し、袋叩きにされた。その後は役所に突き出され、監獄に十年もぶち込まれる羽目となったのだ。
「かゆくて仕方ねえなあ。たまには体を洗いてえよ」
ルイは、体を掻き毟りながらぼやいた。ルイの体は、掻き毟った痕が層になっている。
囚人は、体を月に一度しか洗えない。服を変える事が出来るのは、半月に1度だ。当然蚤や虱にたかられる事になる。
「体中の掻いた痕から血が出やがる。手はいつも血で濡れてやがる」
ルイは、うんざりした表情でぼやき続ける。ルイは元は鍛冶屋の徒弟だったが、贋金造りをやって監獄にぶち込まれた。
「藁の上では蚤と虱が踊ってやがる。たまったもんじゃねえ」
フェルディナンも、ルイと同様に体を掻き毟りながらはき捨てる。フェルディナンは肉屋の主人だったが、鼠の肉や腐った肉を普通の肉に混ぜて売っていた。夏場にフェルディナンの店で肉を買った客の中に、激しい嘔吐を催す者が続出した。それでフェルディナンは、監獄にぶち込まれた。
ロバンソンは、一人で誰かを相手に話しながらゲラゲラ笑っている。ロバンソンは薬屋だったが、「気持ちの良くなる薬」を密かに売っていた。ロバンソンの密売はばれて、監獄へ放り込まれる事になった。ロバンソンは自分も「気持ちが良くなる薬」をきめていて、今では幻覚幻聴が日常茶飯事だ。
ジャンを合わせてこの四人が、同じ房に収容されている。四人そろってケチな犯罪を犯した者同士だ。
もっとも似た者同士とは言えど、仲は悪い。互いに足を引っ張り合っており、殴り合いになった事もある。互いに相手の弱点を探り合っている。
「ジャン、出ろ。シスターが来ている」
足音高くやってきた看守がジャンに命令する。教会のシスターは、定期的に囚人の聴聞に来るのだ。
へいへいとジャンは答えながら部屋から出て、看守に小突かれながらシスターの待つ部屋へと向かった。
「あなたは、お話を書いてみる気は無いかな?」
シスターの唐突な話に、ジャンは顔をしかめる。
「あなたは読み書きができるんでしょ。それに物語に興味あるみたいだし」
シスターのいう事は確かだ。ジャンは、育っててくれた神父により字の読み書きを教わっている。物語には子供の頃から惹かれていて、吟遊詩人の物語る話を聞いたり庶民向けの演劇を良く見ていた。その為に、なけなしの金を費やした事もある。
「ですけど俺は、お話しなんて書いた事はありませんよ」
「ここに戯曲があるから、これを参考にして書いてみたら?芝居を色々と見たようだから、これを見れば大体分かるはずよ」
ジャンは、シスターから渡された戯曲と紙と羽ペンを見る。俺に出来ると思っているのかね、このシスターは?
ジャンは、シスターの姿を見る。小柄な上に童顔で、まるで少女のような外見のシスターだ。柔らかそうな赤い髪に、よく動く紺色の目をしている。およそ囚人の聴聞をする聖職者には見えない。名はアマンディーヌという。
お話を書く、か。さて、どうしたものかね?ジャンは、伸び放題の髭をひねりながら考える。ジャンは物語を
[3]
次へ
ページ移動[1
2 3 4 5 6 7]
[7]
TOP[0]
投票 [*]
感想