以下に提示するのは、小説家永井龍彦と大学生宇月原克彦の失踪に関する資料である。交友関係のある両名は、平成二十六年九月四日前後にA県A市において共に行方不明となった。三年経った現在においても、両名の足取りは判明しないままである。
宇月原克彦の自宅のパソコンから、宇月原の記したと見られる日記が発見された。だが異常な内容であるため、警察では資料として重視しなかった。編者は参考資料になると判断し、失踪前十六日間分の日記を抜粋して以下に提示する。
八月二十日
先生がおかしな事を言い出した。「絵から彼女が出て来るんだ」と言っている。
その絵とは、娼妓が描かれている屏風絵だ。先生の話だと、先生が住んでいる家の前所有者の物らしい。その屏風絵の娼妓が出て来るんだそうだ。
おかしな所がある先生だったが、ますますおかしくなったのかも知れない。今の所は様子を見るしかないだろう。
八月二十一日
思えば先生は、以前からおかしな人だった。
先生は、怪奇幻想小説を書く小説家だ。小説家は変人が多いと言うし、「怪奇幻想小説」の書き手となれば変人ぶりも目立つものかもしれない。
先生は、旧家から買い取った日本家屋で独り暮らしをしている。人の出入りは、俺以外はほとんど無い。夏だと言うのに、黒いシャツに黒のスラックスと言う姿だ。家の中なのに、銀製の指輪やブレスレット、ネックレスを付けている。しかも髑髏の装飾が成された物だ。俺が訪問すると、銀箔を張った髑髏の杯で冷茶を入れてくれる。
ただ、趣味が変だと言うだけで、狂っているところは無かった。書く物は異様だが、だからと言って本人まで狂っているわけではないだろう。
しかし、「絵から人が出て来る」と言い出した現在では、先生の正気を疑わざるを得ない。先生が危険かどうかは分からないから、軽率な行動は慎んだほうが良いだろう。
明日にでも、もう一度先生の所に行ってみよう。
八月二十二日
やはり先生はおかしい。ちょっと屏風絵について質問したら、やたらと喋り散らす。先生は自分が興味あることはよくしゃべる人だが、それにしても少し度が過ぎている。
先生によると、この屏風絵は江戸時代に描かれたらしい。この地方は昔から海運業が盛んであり、江戸時代にも港町が栄えていた。その港町には遊郭があり、その遊郭の娼妓を描いた物らしい。
別の説によると、その遊郭に出没した毛娼妓と言う妖怪を描いた物らしい。毛娼妓とは、長い髪を振り乱した娼妓の妖怪であり、遊郭に出没したらしい。この屏風絵に描かれている娼妓は、髪を結わないで顔の前に垂らしている。普通の娼妓ではなく、毛娼妓を描いた物かもしれないと先生は言っている。
先生は、本当に喋りまくった。この地方の歴史、地理、遊女の歴史、この地方の遊郭の変遷、屏風絵の歴史、技術など。こちらは相槌を打つ事すら出来ない。
そして、絵から出て来る女の事を話しまくった。それは、聞いているほうが恥ずかしくなるような恋愛妄想だ。止めなければ、ポルノまがいの事まで喋り出したかも知れない。
先生の所から出た時は、さすがにぐったりとした。先生は面白い人だと思っているし、先生の小説は大好きだ。それでも、限度と言う物はある。取り敢えず今は休もう。考えがまとまらない。
それと、あの変な女は何だ?
八月二十三日
昨日の女が気になる。昨日、先生の家を出てすぐに変な女と出会った。
女は泉潤子と名乗り、県内で商売をしている古美術商だと言っていた。何でも先生が所蔵している美術品に興味があり、先生と面識を得たいそうだ。
俺は先生の所に出入りしている大学生に過ぎず、先生に人を紹介する事は出来ないと言っておいた。女は、それであっさりと引き下がった。
あの女は奇妙だ。この暑いのに着物を着ていたし、腰まで届く長い髪をしていた。それに雰囲気が不気味だ。若くて美人なために不気味さが目立つ。
八月二十四日
あの古美術商を名乗っていた女が興味を持っているのは、娼妓が描かれている屏風絵かもしれない。
思い返せば異様な迫力のある絵だった。金地の中で、漆黒の髪を垂らして紫の着物を羽織った娼妓が立っている。着物ははだけてあり、むき出しになった胸を髪の毛が隠している。白い足もむき出しとなっており、異常なほど長い黒髪が絡まっている。
あの娼妓の絵でもっとも目立っているのは黒髪だ。足まで垂れ下がるほど長い黒髪が、結われる事も無く娼妓を覆っている。生命力を持って艶々と輝く闇の様な黒髪だ。この髪の間から、娼妓は妖艶な微笑を浮かべている。
この屏風絵は薄暗い部屋の中に置かれており、金がほの暗い輝きを放つ中で陰性の美を持つ娼妓が浮かび上がっていた。凄みすら感じさせる屏風絵だ。先生がおかしくなっても仕方が無い絵かもしれない。
古美術商を名乗
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