旅の鬼

 千方は、県道沿いに西に車を走らせていた。朝の九時半であり約束の時間は十一時だが、慣れない土地だから早めに行きたい。法定速度を十キロオーバーしながら走らせている。向かう先には青い山が見えている。カラス天狗が住む山だ。
 千方の運転する車は大型だ。日本最大の自動車会社が、従業員と下請けを締め上げて造った魔物娘用の車だ。そんな車など運転したくはなかったが、赤鬼である千方が運転できる車は限られている。しかもここは地方都市であり、レンタルできる車は限られる。いやいやながらも借りるしかなかった。
 今度こそ売れる小説を書かなくてはならないな。千方は、声を出さずにつぶやく。千方は小説の取材のために、これからカラス天狗にインタビューをするのだ。しかも、相手はカラス天狗の元締めである大天狗だ。赤鬼である千方はあまり動じないが、今度ばかりは緊張している。親しい者でなければわからないが、いつも朗らかな千方の顔は少し強張っている。
 千方はアクセルを踏み込んだ。

 千方は、天狗と江戸時代の思想家である平田篤胤について小説に書こうと考えて、秋田県を取材していた。平田篤胤は秋田県出身である。秋田県にいるカラス天狗の中には、平田篤胤に関する資料を持っている者がおり、そのカラス天狗達に取材しようと言うのだ。
 平田篤胤は、エキセントリックな思想家として知られている。天狗の下で修行したと自称する少年を養子として、彼へのインタビューを元に「仙境異聞」なる本を書いた。近代では「仙境異聞」は、少年と平田篤胤の妄想を描いた物として「トンデモ本」として扱われてきた。だが、魔物娘が人間社会で暮らすようになってから事情が変わった。
 千方は、平田篤胤をネタにして小説を書こうとして、天狗少年の師匠が住んでいたとされる信濃国(長野県)浅間山に取材に行ったことがある。その地のカラス天狗に取材したところ、少年が修行した事を記した記録を発掘できた。千方は小説を書く予定を変更し、発掘した資料を基に「仙境異聞」の事実の部分を検証したノンフィクションを書き上げた。
 このノンフィクションは、国文学会と民俗学会に騒ぎを起こした。「トンデモ本」として扱われていた物が、かなりの部分が事実だと分かったからだ。魔物娘が社会で暮らす前だったら、まともに相手にされなかっただろう。だが、今は魔物娘の存在は当たり前となっている。しかも、書いた本人は赤鬼だ。信用性が有ると判断された。
 もっとも、千方は不本意な気持ちもある。自分は小説家であり、あくまでも平田篤胤を小説で描きたかったのだ。資料の性質からノンフィクションに変更したが、次は小説として書きたい。そう考えて、今回は小説を書くために取材をしている。
 浅間山を取材したとき、山中に住む大天狗から秋田に住む大天狗を紹介された。その紹介を頼りに、今インタヴューをしようというのだ。小説を書く際には大物から取材した言っても必ずしも大きく扱うわけではないが、それでも実際に大物と会うと緊張する。
 思わず酒を飲みたくなったが、取材前に飲むわけには行かない。そもそも今飲んだら飲酒運転になってしまう。千方は、ため息を抑えられなかった。

 目の前には、山と農村の風景が広がっている。山のふもとに取材相手の大天狗が住んでいるのだ。目の前の山は、修験者が修行したことで知られる。出羽国(秋田県、山形県)は、山岳信仰で知らており、その為に天狗とは縁がある地域だ。
 田畑の中を県道が通り、県道沿いに時々集落が現れる。その中を目指す地へ向かっている。大天狗の家は、大きいからすぐ分かるだろうとの事だ。車を走らせ続けていると、目指す地が見えてきた。
 確かに大天狗の家は大きかったが、別の意味で目立っている。地方で暮らすカラス天狗の元締めの家といったら、蔵の立っている日本家屋を想像するだろう。目の前に見えてきた建物は、大きく方向性が違っていた。
 山のふもとには、豪奢と言う表現の当てはまる洋館が建っていた。建築について知っている千方は、その建物は歴史主義建築だと分かった。歴史主義建築とは、過去の西洋の建築様式を復古的に用いた建築様式だ。目の前の館は、ゴシックを意識して建てられている。それが山のふもとに建っているのだ。千方は、シュールな光景に呆れた。
 約束の時間まで路肩に止めて時間をつぶした後で門の前に止まり、インターホン越しに挨拶をする。誘導にしたがって、レンタカーをガレージに入れる。車から降りると、一人の女が出てきて千方に挨拶をした。挨拶を返しながら、思わず千方は相手をまじまじと見てしまった。二十世紀初頭のヨーロッパの宮廷に勤める侍従のような格好をしているのだ。どこかの復古主義のホテルのボーイが着ているような服を、目の前の女は着ていた。制服のそでの部分からカラスの黒い羽が出ている事か
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