神父と金

 市の中心に巨大な廃墟がある。いくつもの尖塔が立ち並んだ鋭角的な建物だ。廃墟とは言うが、痛んだ所はあまりない。建物にはまったステンドグラスも、ほとんどは割れずに残っている。
 その建物は、かつては大聖堂であった。この国の主神教団の本部だった所だ。多くの神父とシスターが、この建物の中で働いていた。今は誰一人いない。通りにいる人々も見向きもしない。
 一人の男が、大聖堂の前に通りかかった。大聖堂の入り口の前に立ち止まると、じっと建物を見上げる。何の表情も浮かべず、無言のまま見上げ続ける。 
 男は軽く頭を振ると、廃墟から離れた。相変わらず無表情のままだ。男にとっては、大聖堂であった建物は大きな意味を持つはずだ。
 男はかつては神父だった。

 二年前までこの国は反魔物国だった。主神教団が大きな勢力を持っていた。小国ながらも盛んな商業と主神教への信仰が、この国を特色付けていた。
 それも二年前までの話だ。魔王軍の侵攻によって、この国はあっさりと魔物の支配下に落ちた。現在は、この国は魔王軍の保護国だ。近いうちに魔王直轄領になるだろう。
 この国において、主神教団は滅びた。魔物達は、人間を自分達のうちに取り込んで行った。魔物達は人間と婚姻関係を結んでいき、人間を自分の手の内に収めていった。魔物と交わった男はインキュバスとなり、人間ではなくなる。人間の女も、魔物の魔力や魔物側が供給する食物により、サキュバスへと変貌していった。もはやこの国では、人間は少数派である。人間の信仰である主神教は、急速に衰退していった。
 神父やシスターの生活も、当然ながら激変した。

 ルカは、政庁の一室で政庁で使う備品の納入費を計算をしている。政庁の会計がルカの仕事だ。細かい数字を、確認しながら几帳面に記入していく。無表情に機械的な動きで帳簿を記入していくルカの姿を見ていると、計算する自動人形のように見える。
 一人の女が、ルカを背中から抱きしめた。ルカの背後から甘い匂いが漂ってくる。
「あなた、仕事はちゃんとやっているのかしら?」
 抱き付かれた拍子に、羽ペンのインクが帳簿に滴る。ルカは軽くため息を付き、インクを吸い取る粉を一つまみして帳簿の汚染部分に置いた。後ろを振り返り、女に平板な声で苦情を言う。
「仕事中に抱き付くのは止めてくれ、エディッタ。インクがこぼれてしまったじゃないか」
 エディッタと呼ばれた女は、微笑みながら謝る。
「ごめんなさいね。でも、これでも我慢しているのよ。本当は、一日中あなたを抱きしめていたいのよ」
 エディッタは豊かな胸をルカの背に押し付け、ルカの胸や腹を手で愛撫する。エディッタは、人間ではなくサキュバスだ。頭に白い角を2本生やし、背には蝙蝠のような黒紫色の翼を生やしている。胸と股間以外は、白い肌を大胆に露出した黒皮の服を着ている。他の主神教が盛んな地域と比べればこの国は開放的だが、エディッタのような格好は人間だったら娼婦でもしない。淫魔と呼ばれる種族にふさわしい格好だ。
 エディッタがルカを抱きしめていると、彼らの上司がやって来て叱り付ける。
「仕事中は抱き付いたらだめだと言ったでしょ、エディッタ。そういう事は、仕事が終わってから好きなだけしなさい。私だって我慢しているのだから」
 上司は、とがった耳と褐色の肌が特色であるダークエルフだ。健康的な肌を惜しみなくさらした白い光沢のある服を身に着けている。
「書記官殿は、抱きしめるよりも鞭で打ちたいんですよね。旦那さんを鞭でよがらせたいんですよね」
 エディッタのからかう口調に、ダークエルフは得意げに答える。
「そうよ、悪い?鞭打ちをしてよがらせることは、旦那への最高の愛情表現よ。あなたも鞭打ってほしいかしら?部下への愛情表現として」
 遠慮しま〜すと軽い口調で答えると、エディッタはルカから離れる。ルカは、ため息を付きそうになるのを抑える。いまだに魔物の性への開けっ広げな態度は慣れない。ルカは潔癖と言うわけではないが、元神父として性を公言する事には抵抗がある。
 ルカは、二年前まで神父だった。魔物の侵攻によりこの国の主神教団は壊滅し、ルカは神父の職を失った。占領軍の雇用対策により、ルカは政庁の会計の仕事に付いた。教団にいた頃から会計の仕事に就いていたため、政庁の会計の仕事はルカに適している。
 エディッタは、魔物侵攻の際に強引にルカの妻となった。それ以来、ルカにしつこく付きまとっている。職場や住処まで同じにした。
 ずいぶんと変わってしまったな。ルカは、何度目になるか分からない慨嘆を心の中でする。まあ、仕事をして飯を食えるならいいか。商人である両親ならば、同意するだろう。どうせ俺は、商人としても神父としても落ちこぼれだしな。俺に出来る事は、金勘定だけだ。ルカは、心の中で苦くつぶやいた
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