博士は、自室でため息をついていた。窓からは落日が差し込んでおり、棚に整然と並べられた数多の本を照らしている。そして数多くの実験器具が鈍い光を放っている。
かつてそれらの物は、博士の心を躍らせていた。だが、今となっては何の価値も無い。博士は、鏡に映った自分の姿を見た。老いさらばえた男の姿だ。彼は、ため息をつきながら考える。
私の人生は何だったのだろうか。若い頃の私は、知の欲望に溺れていた。数々の学問を貪欲に求めた。数学、天文学、論理学、文法学、修辞学、法学、医学、神学などを貪った。自分の一生を学問にささげ、知の追及に心血を注いだ。
だが、何もならなかった。膨大な知の世界で道に迷い、たいしたことは知ることは出来なかった。世界とは何か?人間とは何か?そんな根源的な問いに応えることが出来なかった。錬金術や黒魔術にも手を出したが、無駄な努力だった。
「何もかも無駄だった」
博士は、薄暗がりの中でつぶやいた。
博士は、部屋の真ん中を見つめた。そこには魔法陣が描かれている。黒魔術にのめり込んでいた時、その魔法陣を使って様々な儀式を行っていた。その結果知ったことは、黒魔術は子供だましに過ぎないということだ。
博士は立ち上がると、魔法陣を描いた床を蹴った。
「悪魔よ、無能惰弱な詐欺師よ。私はお前に失望した。せいぜい子供相手に手品でもしているが良い」
そう言い放つと、低く笑った。
次の瞬間に、魔法陣は紫色の光を放った。同時に煙がわき上がる。閃光が放たれ、博士は目をつぶる。彼の口からはわめき声がほとばしる。
気が付いた時には、博士は床に座り込んでいた。すでに夜となっており、部屋は闇に包まれている。博士は立ち上がり、首をふる。
「夢か」
彼の口には苦笑が浮かぶ。
部屋の中に薄明かりがともった。光の珠が1つ浮かんでいる。その灯りに照らされる者が博士の目前にいた。背か高く、長い黒髪を生やした女だ。娼婦ですら着ないような、露出度の高い革の服を着ている。露わになっている肌は青い。女の頭には赤い角が生えており、背には黒い翼がある。薄明りの中でも類まれな美貌だと分かる女は、赤い瞳で博士を見つめていた。
「ごきげんよう、博士。あなたの言う所の無能惰弱な詐欺師が参りました。子供を相手にするよりも博士を相手にした方が面白いですからね」
そう言うと、女はわざとらしく一礼した。
「私としても、どうせやるのならば大きな手品をしてみたいものです。どうです、私と戯れてみませんか?」
博士は、女をまじまじと見た。そして笑う。
「なるほど、芸人が押し掛けてきたわけか。よかろう、私を楽しませてくれれば、銀貨の1枚でもくれてやろう」
女悪魔は、口の端を釣り上げて笑う。
「私の芸はそれほど安くはありませんよ。博士に満足を与えてあげますよ。その代価として、博士の魂を頂きたいですね」
博士は笑いを収め、女悪魔を見つめた。そして再び笑い出す。
「よかろう。だが、お前の力を見せて欲しい。お前の芸を見なければ話にならん」
「いいでしょう」
女悪魔は、紙を胸元から取り出した。それを博士に渡す。博士はぞんざいに目を走らせた。胡散臭げに見ていた顔に驚愕が走る。
「こ、これは、微分、積分式ではないか!このやり方は、私の師しか知らないはずだ。彼は、未発表のまま死んだはずだ!」
「確かに、あなたの師が作り出したものです。ただ、彼にいくつかのことを示唆した悪魔がいます。その悪魔は、あなたの師を引き継ぎました」
博士は、すわった眼で女悪魔を見つめた。自分と師しか知らないことを知っている。しかも、その式は自分たちの考えたことの先を行っている。
「確かにお前は、知に優れているかもしれない。だが、知で何が出来るというのだ?私は知に失望したのだぞ」
「それでは、これはいかがですか?」
女悪魔は鏡を指した。そこには、ガラス容器の中にいる子供が映っている。
「ホムンクルスか?」
「人を作り出すことは、あなたの望んだことの1つのはずです。私の知は、人を作り出せるかもしれませんよ」
博士は大きく息を吸った。そして吐き出す。
「よかろう。悪魔よ、お前と契約しよう。せいぜい、私を楽しませるが良い」
女悪魔は、ほほ笑みを浮かべた。彼女は、胸元から契約書を取り出す。
「どうぞ、これをよく読んで下さい。納得出来たら、血でサインをして下さい。法学を学ばれた博士ならお分かりでしょうが、書いてあることだけではなく書いていないことにも気を付けて下さいね」
博士はたんねんに契約書を見た。そして言う。
「付け加えたいことがある。『時よ止まれ、お前は美しい』そう私が言った時、お前に魂を渡すというのはどうだ?」
女悪魔は、口に指をあてて少し考える。
「よろしいでしょう。それを書き加えましょう」
女悪魔は羽
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