俺は、今どこを歩いているのだろうか?辺りは濃い霧に包まれている。いつの間にか霧の中にいた。どこへ向かっているのか分からない。
霧の中で下手に歩くと、危険な目にあう。崖から落ちるかもしれないし、敗残兵狩りに会うかもしれない。俺は、命の危機にあるのかもしれない。だが、もうどうでもいい。疲れているんだ。
一歩歩くごとに、疲労は積み重なっていく。槍を杖代わりにして、ようやく歩けるありさまだ。俺の汚れきった体は、惰性で動いているだけかもしれない。それがどうしたというのだ?倒れるまで歩くだけだ。
不意に、霧から抜けることが出来た。おぼろな月明かりが差し込んでいる。俺は、かすむ目で瞬きをする。目の前に、月明かりに照らされた建物があるのだ。石造りの立派な館であり、領主や貴族が住みそうなところだ。
俺は、館をぼんやりと見つめ続けた。なぜ、こんなところに館があるのだ?館の中に人はいるのか?なにも分からない。館とこの場所、自分の状況を慎重に探るべきだろう。だが、疲れ切っていてまともに頭が働かない。だから、ぼんやりと館を見つめ続ける。
俺は、館に向かって歩き始めた。館の中から呼ばれているような気がしたからだ。危険だとは思うが、まともに考えることが出来ない。操られているように館へと歩いていく。
館の扉を開き、中へ入った。扉は大きな音を立てたから、中に人がいたら気が付くだろう。だが、それがどうしたというのだ?俺を殺したければ殺せ。もう、疲れたんだ。
館の中に明かりは無く、人がいる気配も無い。ただ、窓から差し込む月明かりが、館の中を照らす。俺は、虚ろなまま館の中を歩く。
一室に入った。その部屋は何の部屋だろうか?俺のような農奴には、金持ちの館の中など分かりはしない。俺は、壁に寄りかかって立ち尽くしていた。そのまま崩れるように座り込む。そして俺は眠り込んでしまった。
これは夢だろうか?それとも現実のことだろうか?俺は、畑で領主の家来に殴られている。陣地で古参兵に蹴られている。そうかと思うと、誰かが俺を抱きしめて愛撫している。俺の耳元で領主の家来がわめき散らす。古参兵が怒鳴り散らす。女が穏やかな声で、耳元でささやく。
俺は逃げている。敵が追ってくるのだ。捕まったら嬲り殺しにされる。俺は倒れる。もがきながら起き上がる。俺を捕まえている者がいる。女なのか?柔らかく、温かい。
俺はどうなっているのだ?何度眠ったのだろうか?何度目を覚ましたのだろうか?俺は眠っているのか?目を覚ましているのか?
分からない。何も分からない。
目を覚ました時、俺は薄紫色の天井を見ていた。よく分からない模様のような物が一面に描かれている。目を横に移すと、薄紫色の壁が見える。壁にはよく分からない彫刻が彫ってある。窓から差し込む日の光に照らされた壁は、穏やかに輝いている。
俺は、ベッドの上に横たわっているのだと気が付いた。俺は、起き上がらずに横たわり続ける。気持ちがいいのだ。こんな気持ちがいいベッドは寝たことが無い。藁のベッドでは、こんな気持ちの良さは味わえない。信じられないほど柔らかく、なめらかなのだ。
領主は、絹に包まれたベッドで毛皮をかけて寝るそうだ。もしかしたら俺の寝ているベッドは、そのような物かもしれない。ベッドは紫色の布で覆われており、俺には紫色の毛皮のような物がかけられている。俺は、うっとりしながらその感触を味わっている。
なぜ、俺はこんなベッドで寝ることが出来るのだろうか?俺を見たら敗残兵だと分かるだろう。しかも農奴兵だと分かる姿だ。こんな上等な部屋で、素晴らしいベッドに寝させてもらえるわけが無い。
それに槍はどこにある?俺は何の武器の無い状態だ。それどころか、丸裸になって横たわっている。
だが、そんなことはどうでもいい。もう、何かを考えるのは面倒なのだ。頭もまともに働かない。ただ、この気持ちの良さを味わっていたい。
俺は、自分の体を見てみた。汚れきっていたはずの体は、清められていた。俺の寝ている間に清めてくれたのだろうか?俺は鼻で息を吸う。甘い花のような匂いがする。ベッドは甘い匂いで包まれているのだ。
馬鹿みたいに横たわり続けていると、扉が開いて人が入ってきた。俺は、ぼんやりと入ってきた人を見る。紺と白の服を着た若い女だ。黒髪を後ろで縛り、服をきちんと着ている。きれいな顔をしていて、明るい栗色の目をしている。その女は俺に向かって微笑みかけてきた。
「お目覚めになられたのですね。よくお休みでした。お体の加減はいかがですか?」
俺は少し驚いた。俺にこのような丁寧な話し方をした者など、今までにいなかった。頭がまともな状態だったら、飛びあがっていたかもしれない。だが俺は、彼女に無言でうなずいただけだ。
「まだ、お体は元には戻っておられ
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