私は、暗い山道でレンタカーを走らせていた。東京から北東北の県まで新幹線に乗り、県都でレンタカーを借りてここまで来たのだ。私は、すでに三時間も運転している。繰り返し車を止めて、カーナビと地図とにらめっこしてきた。道路の両側は、濃い緑色の葉の目立つ鋭角的な木が立ち並んでいる。
こんな辺鄙な所へ来る羽目になったのは、私の担当している漫画家のせいだ。その漫画家は、これからの方針について話したい、見てもらいたい資料があると言って私を呼び出したのだ。私は気が進まなかったが、編集長の命令でここまで来た。
田舎の奥地に来たくなかったこともあるが、その漫画家は会いたくないタイプの男だ。私は、その狂った漫画家を思い出して気が重くなった。
私の担当する漫画家の名前は、佐原将継という。もしかしたらご存知の方もいるかもしれない。かつては出す単行本が次々とベストセラーになった漫画家だ。バイオレンスとエロスが売りであり、その過激な作風は一時大いに受けたことがある。
彼の描く主人公は反社会的な男であり、世間の常識をあざ笑い社会の良識を憎む。男は虐殺し女を凌辱する。立ちふさがる相手は策謀と暴力で叩き潰す。そんな鬼畜な主人公が暴れ回る漫画を描いて、読者から絶賛されていた。
佐原は、金に恵まれていることでも知られていた。印税収入を元手にして、外食産業へ投資をしていた。その外食グループは、安い値段で高品質の料理を提供することで評判となっていた。彼の投資は成功して多額の財産を手に入れ、彼は常軌を逸した浪費をしていた。
横浜に白亜の豪邸を立て、そこで酒池肉林の宴を繰り返したのだ。私は行ったことは無かったが、写真や人の話によればすごいものらしい。家の中に滝が流れて七色の照明で照らしていたり、大理石製のモザイクの床が割れてテーブルや椅子が出てくる仕掛けがあったそうだ。その邸宅に愛人や風俗嬢を集めて、乱痴気騒ぎを繰り返したらしい。
だが彼は、ここ数年で財産の大半を無くしていた。投資に失敗してしまったからだ。彼の投資している外食グループで、食品への薬品の混入事件があった。劣悪な労働環境に不満を持った従業員がやったのだ。この事件をきっかけに、そのグループがブラック企業だと判明したのだ。
店長らによる従業員への暴力や脅迫、サービス残業の強要、従業員へ商品の買い取りの強要などを繰り返していたのだ。テレビや新聞、週刊誌はこの実態を報道し、ネットではそのグループのサイトやアカウントが炎上した。労働基準監督署は調査に入り、被害を受けた従業員は裁判を起こした。
その結果、この外食グループは減益減収となり株価は暴落した。グループの会長は現在行方不明であり、一説では精神病棟に入っているそうだ。こんな有様だから、佐原の投資は失敗し、その財産の大半を失ってしまったわけだ。
ただ、財産を失っても漫画家としての力量が残っていたら、今のような惨状では無いだろう。佐原は、漫画家としても問題を起こしたのだ。
佐原は、アシスタントに対するパワハラを繰り返していた。低賃金で酷使して、サービス残業を強要していた。そして暴言や暴力をくり返していた。例えば、気にくわないアシスタントから机と椅子を奪い取り、床に正座させて作業させていた。そのアシスタントに物を投げつけ、物が壊れたらそのアシスタントの賃金から天引きする有様だ。
佐原のパワハラは、投資に失敗したことでエスカレートした。アシスタントは次々と辞めて、まともな原稿を出せなくなった。どう見ても未完成の原稿が誌面に載った。そして一人の元アシスタントが起こした行動が決定的となったのだ。
その元アシスタントは労働基準監督署に訴えた後、佐原に未払い残業代を支払うことを内容証明郵便で要求してきた。佐原が支払いを拒否すると、彼はパワハラの実態をネットで暴露した。元アシスタントは、佐原のパワハラについて克明にメモを取っており、佐原の暴力や暴言をICレコーダーで記録していたのだ。
たちまち佐原に対して非難が集中し、佐原の連載している月刊誌のツイッターアカウントは炎上した。編集部には非難の投書が殺到した。結局、佐原はその月刊誌で連載打ち切りとなったのだ。その後、アシスタントは全員辞めた。
こうして佐原は一人で漫画を描くことになったのだが、その出来栄えはひどいものだった。ベテランだけあり技術はあるが、過去の惰性で描いているような代物だった。漫画の編集者をやっていれば分かるが、漫画家の意欲は絵にはっきりと出てしまう。まるで気の無い描き方なのだ。当然のことながら、人気は出ずに打ち切りが相次いだ。それ以前に掲載されないことが多かった。
こうして佐原は収入が乏しくなり、横浜の豪邸を売った。建物に資産価値は付かなかったそうだが、土地はかなりの値段になったそうだ。
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